中年じじぃの(愉快な)主張vol.13
医者嫌いについて (因果応報と滑舌について)
2024/10/8
私は医者嫌い、病院嫌いである。
別に彼らに何の恨みもないし、医療行為に携わる全ての人には、いつも尊敬の念を持っている。
みんなに心からエールを送りたい。
でも、私は痛いこと(痛そうなこと)全般が非常に苦手なので、病院にはできるだけ、かからないように心がけている。
注射とか採血もダメ。
いつも注射針が腕に刺さるとき、顔を背けてしまう。
刺さったら刺さったで、ただですら悪い人相を、これ以上ないほどしかめるので、いつも看護師さんから心配される。
いや、彼女たちは、何か仕返しされるんじゃないかと恐れているのかもしれない。
幼い頃に、こんなことがあった。
晩飯のあと、風呂場ではしゃいで転び、コンクリートブロックに頭を打って、激しく血が噴き出した。(なぜ風呂場にコンクリートブロックがあったのかは不明)
慌てた父は私を背負い、近所のかかりつけ医院へ走った。
しかし当時は、街なかに野良犬がいるのも当たり前の時代。
2匹の野良犬が血の匂いを嗅ぎつけて、私たちを追った。
頭から吹き出す血。
我が子(私)を背負い、何かを叫びながら走る父。
夜中に激しく吠えながら背後を追う2匹の野犬。 幼い子供にとって、これ以上の恐怖はなかった。
だけどまだ恐怖は終わらなかった。
ほどなく、かかりつけ医院に着いたが、年老いた、眠気を隠そうともしない医師の言葉に、私は慄いた。
「あぁ、これなら麻酔無しで縫いましょう。そのほうが子供は治りが早いので。ではさっさとやりましょう。さあ早く」
そこから先の記憶は、本当にない。
父よ、なぜあのとき救急車を呼ばなかった。
大きな救急病院に連れて行かなかった。
おかげで私は、献血すらできない大人になったぞ。
小学校に上がってから、こんな事があった。
急な発熱と腹痛で、母に連れられて病院に行った日の事だ。
診察した若い医師は言った。「あぁ、盲腸ですね。切りましょう、今すぐ切りましょう。さあ早く」
私は前述の記憶が蘇り、激しく抵抗した。というか泣き叫んだ。
母は医師の言葉に従い、すぐに手術することを望んだ。
しかし、ゴネにゴネた私は、いったん帰宅し、母と共に別の病院へ向かった。
「セカンドオピニオン」という言葉が生まれるはるか前だ。
その病院で、中年の医師はこう言った。
「あぁ、何か悪いものを食べましたね。薬を出しておきましょう」
そして翌朝にはすっかり元気になった。
母よ。なぜあのとき私でなく医師を信じた。
おかげで私は、健康診断や人間ドックが近づくたびに気鬱になる、高度な病院嫌いになってしまったぞ。
いやその前に、私に何を食わせたんだ。
こうして私は、父のせい、母のせい、老医師と若い医師のせいで、すっかり病院嫌いの、自称「健康体」になってしまった。
健康であると自らを鼓舞し(というか偽り)、不摂生な生活をしているくせに、できるだけ病院には近づかないようにして生きてきたのだ。
そして何十年が過ぎ、ついにそんな私に天罰がか下る。
生まれて初めての手術を、しかも全身麻酔を施され、医師や助手が10人ほどもいる手術室で、受けるハメになったのである。
これは結構長い話なので、また書いてみる。
ところで、「手術」って、口に出して言いにくくありませんか?
シュジュツ。
私の滑舌が悪いのもあるが、だいたい噛む。
この言葉を考えた人は、「オペ」を日本語に翻訳したんだろうけど、自分で口に出したんだろうか。
いっそのこと、訓読みして「手術」を「てすべ」にしたらどうだろう。
『治療には〝てすべ〟が必要です』とか、
『これから〝てすべ室〟に入ります』とか。
なんか重大な局面でも、ほのぼのとした雰囲気が漂う。
きっと病院嫌いも減るに違いない。
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