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わたしの赤裸々日記②/人生の編集

人生が雑誌なら、あなたは「人生の編集長」である

書くのがしんどい/竹村俊助


竹村俊助さんの『書くのがしんどい』を読んだ。

読了ではなく、途中まで読んでとまった。

この一文を見た瞬間、
自分の人生をふりかえざるを得なかったからだ。


“人生の編集長”

このワードが強烈に印象に残った。
なぜなら、わたしは自分の人生をより良くしようと編集してこなかったんだなと思ったからだ。

「ま、こんなもんでいいでしょ」

と、適当に「編集の仕事」を済ませて、適当に完成させてきた。

簡単にわたしの適当さが分かる人生を振り返ってみる。

小学校。
宿題の日記は嫌いだったけど、いちばん夏休みが楽しい時代だった。
学校で毎日楽しみだったのは、好きな男の子といかに目が合わせられるか。
未来のことなんて、「お嫁さんになりたい」以外はぼんやりとしか考えられなかった。
「お嫁さんになりたい」も結構ぼんやりな夢だけれど。

中学校。思春期を迎えた。
やっぱり好きな男の子のことばかり考えていた。
部活は嫌いだったし、
勉強なんて塾でやっているフリをしていただけ。
塾が終わる時間までわからない問題を引き延ばして、ウトウトしているところをよく先生に怒られていた。

高校。
少しだけ大人になって、彼氏とすぐ別れたり、よりを戻したり。
今思うと、恋愛には1番責任を持てていなかった。

勉強は、先生たちがヤクザみたいな先生ばっかりだったから少しだけ頑張ったけど、ただそれだけ。
すごく良い大学に入れるレベルどころか、田舎のFラン大学に進学した。

大学
思い出せないレベルでなにもしてない。
適当にバイトして、好きな地下アイドルの応援をして、ありあまるくらい自分の時間を好きに過ごしていた。
今思うともっと本を読んで勉強しておけば良かったな。

社会人
ぼんやり決めた職業で、必死に働くことになった。
働くことの大変さが身に染みた。
そして、働くことはつらかった。
どんなに一生懸命働いても、もらえるお金は少ないんだなと虚しくなるときもあった。

生きているだけでお金がかかってしょうがないし、人生をただ生きているだけで大変だ。
社会人になって初めて、人生について考え始めることになった。

無職
病気ではないけれど、
自分の体や心のコントロールが難しい。
日中は眠くなる。体は動かない。
パソコンの前に座って少し作業する、本を読む。
夕方になったら夕飯を作ってお風呂に入って寝る。
社会と切り離されて、虚無感がすごい。



自分自身について考え始めたのは、本当につい最近なのかもしれない。

自分の好きなこと
苦手なこと
やりたいこと
やりたくないこと
自分が大事にしたいこと
これまでの人生について

本当は10代のときに考えたかったことを、今になって考えている。

その時々の大事な選択を適当に流していたから「あなたがあなたの人生の編集長なんだよ」
という旨の内容が痛い。

「人生の編集」に責任をもって取り組んでこなかったことを痛烈に後悔している。

表面上は真面目にやってきたつもりでも、
深く深く自分と向き合うことをしてこなかった。

それに気がついた今は
ひたすらインプット、インプット、インプットする毎日。

インプットしすぎて気持ち悪くなるときもある。

だけどアウトプットが難しい。
行動すること、誰かと話をすること、外にでること。
モチベーションが100あって、体が動いてしまえばできるときもある。

でも、それが難しいのだ。

情緒不安定になると、パートナーは叱ってくれる。
「焦る必要はない」と、励ましてくれる。

だけど一人になると、すごい虚無感が襲ってくる。
見えないゴールを目指していることに、恐怖を感じる。

そんなことを感じているとき、「悲劇のヒロイン気取り」な自分を痛々しく思ったりする。

正直、この記事も結構痛々しいなと思って書いている。

つまり、なにが言いたいかというと、適当に人生を過ごしてきたツケが、今まさにまわってきているということた。

今もまだ、うまく編集できていないけれど

責任もって自分の人生に納得できるように、うまく編集していけたらいい。

そんな話を誰かに聞いてほしい一日だった。

書くことで、成仏させてください。

おわり


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