2020.01.01

妻と娘は妻の実家におり、自分は親兄弟と実家でゆっくり元旦を過ごしている。
去年一年書いたnoteやevernoteを見返したりしながら、ゆるゆると思うことを書いてみる。

2019年の振り返り

去年は、短期的に見れば明確に"挫折"した年だった。理想の自分と、現実の自分のギャップをまざまざと見せつけられ、見たくない自分と向き合った。家庭と仕事の両面でうまくいかない現実をいったんリセットするために、逃げるという選択をさせてもらった。

ずっと、責任者の誰かの右腕的なポジションで、得意なことを組み合わせて期待に応えるスタイルで縁の下の力持ち的にうまいことやってきた。

3月にマネージャーになり、四方八方からたくさんの意見に晒され、情報にまみれ、状況は刻々と変化した。その中で「自分はどうしたいのか」と「なぜそう思うのか」を表明し、「どこに向かい、何をするのか」を決めることを求められた。(それが仕事なんだから当たり前だ)

誰かに任せてずっと逃げてきた「考えること」と「決めること」の難しさに右往左往し、意思のない空っぽな自分、嫌われたくない弱い自分に気付いて途方に暮れた。

簡単に言えば、この記事に書いてる通りの失敗をした。

https://note.com/noritoku/n/n2eca8f359f37

2020年の今思うこと

だいたい年初は抱負なりやりたいことなりを威勢よく発表するものだが、「自分は何をしたいのか」ほど難しい問いもないなと思う。考えるべきことやるべきことは色々あるし、シンプルに考えるのも言うは易し行うは難し。
漫然と生きてると人の意見、世の中の正論にまみれて自分のオリジナルな思いをすぐに見失う。

それでもやっぱり考えないことには本当にふわふわするし、接する人、属する環境、触れた情報に自分がそのまま左右されてよくわからないことになる。日々少しでも自覚的に幸せを感じて生きていきたいのであれば、やっぱりちゃんと自分の頭で考える時間を大切にするしかないんよなぁと思う。(当たり前のこと過ぎ
るけれど)

去年、みんなから好かれようとしてもみんなを困らせるだけ、という当たり前の事実に手痛い失敗で気付かせてもらったので、今年はちゃんと好かれたい人、裏切りたくない人に優先順位をつける。

「そもそも好かれる必要あるの?」という問いもあるかもしれないが、人はそんなに簡単に変われないのでいきなり「嫌われる勇気」に全振りはできないししない。
(元々、真面目なタイプなので、いきなりゼロイチでやらないことを決めるのはハードルが高いのでは?ととある人にアドバイスされた。その通りだと思う。)

自分の意思ではどうしようもない運命による変化や意思決定ももしかしたらあり得るかも知らない、という淡い予感は感じつつ、あまり力み過ぎずに淡々といい感じにやって行きたいと思う。

おわり

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