まずは、こんな時間に「そうだ、noteを始めよう!」などと思い立ち、その瞬間始めている私の行動力だけは評価したいと思う。 初めまして、urと申します。 普段は普通の(?)事務職として働く傍ら、趣味でちまちま小説を書くなどしています。 初投稿となりますので、今回は少しだけ、自分語りをします。 私は典型的な、考えすぎるタイプの人間です。 人とのコミュニケーションなんて特に苦手で、人の顔色や言動を過剰に気にして萎縮してみたり、過去の自分の言動を思い出してウジウジ後悔してみたり、
わたしがはじめて希死念慮を抱いたのは、厳密には覚えてないけど、たぶん中学1年とか2年とか、そのくらい。 それが日に日に強くなって、はじめて動けなくなったのが高校2年の頃。 その後、ゆっくりゆっくりいろんなことを諦めて、受け入れて、なんとかここまで生きてきた。 そして高校時代を振り返っては、「死にたい」なんていう衝動はすごく子供じみた、思春期特有の発作のようなものだったのだと考えるようになった。 これは私の死生観の話になるけれど、私は、現在の「私」であるところの私が死ん
休職1ヶ月目の終盤、メンタルクリニックの医師から休職期間延長の指示があった。 あと1ヶ月休むことができることに安堵したのも束の間、さらに焦りが強くなったように思う。 未だ、1日に20時間近く眠る日々が続いている。 起きている間も、なにか生産的なことをしなきゃ、社会から離れすぎないようにしなきゃ、転職のための勉強は、準備は、なんてぐるぐる考えつつも頭痛で何も手につかず、もう大好きな読書も執筆も、映画や動画を見ることすらままならない。 起きてすらいられないんだから、当たり
あの子、こと某美容系インフルエンサーの彼女が亡くなってもう1年以上経ったことに気づいて、久しぶりに彼女の動画を見にいった。 相も変わらず画面の中の彼女はキラキラでかわいい。 もう同じ空の下にいないなんて、ほんと、信じられないくらい。 精神疾患やコンプレックスと闘っていた彼女に共感して、その思慮深さを尊敬して、 一方で時に嫉妬して、自己嫌悪に陥って、それでもいつも輝いて見えた。 落ち込んだり不安になったりして、そんな中でも色んなことに一生懸命で。 「死んじゃだめだよ」なん