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いつか教会に行く日まで

仮眠

ずっと眠っている。睡眠薬をもらっているけれど、それを加味しても眠りすぎている。お陰様でライフサイクルがめちゃくちゃになっている。
毎日、とても眠い。何もしていない。立ち上がっていることは殆ど無い。

無感動

何にも感動できない。喜怒哀楽の「怒」が減ったのはいいけれど。
「喜」「楽」がない。それなのに「哀」ばかり膨れ上がるのが虚しい。
気分安定薬とか、抗うつ剤をもらいたいです、といったけれど主治医からは「無感動」だから病気で休職しているんですよ。と言われて終わってしまった。それもそうか。

でもちゃんと感動できてたのっていつからだっけ?
いつも人の顔を伺って生きて、「いい人」「明るい人」に見えるように振る舞ってきた。だってみんなそのほうが好きじゃないか。
主治医は悲しみに浸って、メソメソ泣いてください。と言っていたけれど、そうしていたら母親に責められたことを思い出してもうできないんだ。
体に傷をつけて、あるいはお酒などを飲んで異常な状態にならないと泣くこともできないんだよ。
今回の診察はそれも言えなかったなあ。頭が回らないんだ。

もうだいぶ前から文章が、文字が頭に入らなくなっていた。
上司からの簡単な指示も。
最近はYouTubeを流してぼんやりしているんだけれど、発信してくてる彼らの「声」も「音」としてしか認識することができなくなってきた。
音楽もあまりわからなくなってきた。そのうち音もわからなくなるのかな。

 

少しだけ躁

心理検査1回目と定期診察で短めのスパンで、遠くの病院に行った。
障害者手帳用の写真を取ったらあまりにも醜くて化粧品を買って化粧をした。それでも窓ガラスや鏡に写った自分が醜くておかしくなりそうだった。
きちんと準備しなかった自分が悪いんだろうけれど。
待ち時間や帰りの電車で整形の情報を調べて、よくわからないダイエット食品を買おうとしていた。

整形するよりも死んでしまう方がいいのでは?と思ってタバコ屋でありったけのタバコを買って吸い続けてた。この行為が直接死につながるわけではないのに。
今でも浴室はタバコ臭い。

どうせ起き上がっている時間が少ないんだから、とマットレスを買った。
貯金0なのに。何やってるんだろう。
今月は一応給与がもらえるらしいけれど、本当にもらえるんだろうか。
傷病手当金も、本当にもらえるんだろうか。
貯金という概念もなかった私の罪だ。

教会に行ける日は

私が教会に行ける日は来るのでしょうか。
起き上がることも、お金の管理もできない私。
病院に比べたら近いんだ。教会学校だって無理のない時間なんだ。
でもまだ行けない。無理していったとしても、聖書の文字も神父様の声もわからないんだから。
家に作った小さな祭壇のホコリを綺麗にして、オルゴールを鳴らして、ふとした時に祈ることしかできない。

病院へ向かうバスの車窓から見えた病院に対して、「救済」してもらえる。と思ったけれど、私はいま教会に対しても同じことを感じている。
本当に教会に行ける日は来るのでしょうか。

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