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悩む選択 v2-8:気にせずどんどん失敗してイイの? やっぱりダメじゃないの?

ボクともぐらさん、「やさしいひとになり、そう有り続け、やさしいリーダーになり、組織をやさしさで強くする」、という夢を共通に持つ。「ぼくモグラキツネ馬」というやさしさの強さを謳う絵本をきっかけに、互いの夢を知り、心の強さを訓練し真のやさしいリーダーになろうと約束。心の強さを得るための学びとして、職場・人生で直面する悩ましい「どっちを選択する?問題」について徒然草しているこの頃。

今日の悩み:

A.失敗なんて気にせずどんどんしていいよ。そこから学べ、成功へ近づく一歩・成功の母となるから。そもそも失敗とすら定義しなくてもいい。

B.失敗は失敗。意気消沈で気分すぐれず。周囲にも多大な迷惑。失敗は絶対に/なるべくしてはいけない。

「失敗」の話になると、よくエジソンの話が例示されます。いわゆる成功した人についての話もだいたい「失敗」の連続だったとあります。自分の高い夢・ビジョンに向け、それを実現するために「無理難題」に挑戦し、解決、達成、凌駕、克服、しないと行けないから、その過程で「失敗」が必然的にあり、それを乗り越えないと「成功」しない、から、ということだと思います。

エジソンの電球の発明の「失敗」逸話は、この方法では電球にならない/うまく光らないことがわかった、ということは、つまり、うまく行かない方法を発見できたわけだから「成功」だ、という話。10,000回なのか、9,000回なのか、こんな回数の「失敗」を経て、諦めなかったから発明した話です。これが一番有名かと思いますが、晩年になって工場が火事になっても、「失敗」とは思わず、花火のようだと楽しんだという話もあります。本心か、起きたものは取り返しつかないから、そう思うようにしたのか。。。とてもポジティブなひとだったのですね。

「死ななければかすり傷」「死んだってかすり傷」「自分に何があっても地球は回っている」なんて言葉、目にします。「昨日の失敗なんて周囲はすぐに忘れる。自分だけが忘れず執着。スポットライトは君だけになんて当たっていないよ。」なんて主旨も。

だから、他人にどう言われようと気にしないで、挑戦したいことがあれば、「失敗」を「かすり傷」を気にしないで挑戦しようよ、ということですね。初めてやる試み・難しい挑戦は、初めてだから、難しいから、不安に思うし、怖いし、当然「失敗」します。だから「失敗」しないということ自体が不可能ですね。「失敗」しないレベルなら挑戦ではないですから。だから、「失敗しない」=「挑戦しない」になり、不安がなくて怖くないたまたま今できることに終始してしまい、成長しない・学びがない・心の広がりがない・充足感がない、豊かさながない、となりえます。

だから、やはり、失敗なんて気にしないで、挑戦したほうがよいとボクは思うのです。

挑戦を始めた勇気の1歩はきれいな真っ白。ゴールまでの1歩1歩はゴールできていないから「失敗」と定義されて真っ黒。ゴールした最後の1歩が「成功」で真っ白。だから、ゴールしたら、オセロのように、それまでのすべての1歩1歩が「成功」の白色に早変わり。「成功」ってこういう比喩になりそうです。

でも、ゴールできずに、つらくてつらくて諦めたり、どうしようもなく中止に至る、なんてこと、ありますね。諦めたのなら何があろうとそこで負けだよ、失敗だよ、なんて意見もありそうですが、そうとはボクは思わないです。悩んで熟考して、でも、止める、ことあります。諦めたくなくても、どうしても。。。

で、思うのは、愚直に、努力して、気概を持って、覚悟して、ゴールを目指していたのならば、途中で諦めたとしても、そこから自分が何かを学び、納得するなら「成功」です。だから、当初のゴールに到達していなくても、歩んできた道は「成功」の真っ白です。

あるいは、もし次の挑戦に向かうならば、右か左かに曲がっただけで、一歩一歩は続いています。だから、まだ、次の違うゴールに到達すれば、過去の1歩1歩は全て白色に早変わりです。小休止する時もあるし、寄り道する時も、あっち行って、こっち行っての時もありますが、一歩一歩はつながっています。まだわからないですね。違う道で「成功」です。

ちなみに「失敗」なんて気にせず挑戦した先の「成功」はひとそれぞれですね。金銭的な地位的な権威的な有名になるなんてことが成功ではないとボクは思いますが、ひとそれぞれですね。

でも、こんな反論がありそうです。そんな大きな挑戦の話だけではない。日々「失敗」がある。絶対に避けるべき「失敗」がある。例えば、会社の仕事で「失敗」と定義できるであろう、法律違反、契約違反、秘密情報のうっかり開示、データ漏洩・データ損傷、納期遅れ、品質問題、コスト膨れ上がり、など、それに日常のケアレスミスも含めて、繰り返されたらまずいですよね。これが起きたり、繰り返えされたら「なんで「失敗」をするんだよぉー!迷惑かけるな!もう絶対に「失敗」するな!」と言われ、意気消沈で気分すぐれない。つまりB.になりますね。

ただ、通常は、心の強い人格的な”やさしい”リーダーがいれば、こんな「失敗」が起きた場合も、「失敗」した人を責めず、自己責任と捉え、原因と解決にフォーカスし、再発しないように仕掛け、成功させるので、類似のミスは起きなくなりますね。だから、最初や数回の失敗から学んで、再発防止した、という意味では成功です。「失敗」したひとへも是々非々で、人格を否定したり、無駄な批判はせず、前向きな心を維持させます。だから、「こんな失敗なんて気にしないで大丈夫。もう解決したから。自信もって業務に当たって欲しい。」となります。だから、結局、A.ですね。

ボクの親戚、離婚しているたくさん(?)なんです。ボクを入れて8人のいとこがいるのですが、4人が離婚し(そのうち2人は子供2人有りで離婚)。残り1人はずっーと未婚。残り3人は一回の結婚で今のところ済んでいる。離婚は「失敗」ですかしら?その後、再婚して(4人のうち3人は再婚)、あるいは一人でいても、幸せでいれたら、別にいいんじゃないかと思います。

なので、ボクは思うのです。「失敗」が起きる背景が、偉大なる挑戦だろうと日々のプライベートでの生活であろうと、職場での業務であろうと、A.でいいんだと。

ただ、A.を信じる理性があって、何事も「失敗」とは定義しないぞ!と思っても、”こと”が起きると感情はそううまくいかず沈む気持ちになります。エジソンみたいなキャラはおそらく例外ですね。

だから、そんな時に笑顔で支えてくれるひとの存在がとてもとても大切なんだと。ここがキーポイントだと思うのです。

前向きに心を動かす言葉で支えてくれる、希望を運んでくれる、心の強いやさしいリーダーが、そんな自分を気遣ってくれる人がいて欲しいです。大きな挑戦が生む必然的な「失敗」も、日常のケアレスミス的な「失敗」も、やっぱり「失敗」じゃないと思うのです。だけど、本人はやらかしたぁー、と思います。心がくじけますし、しょんぼりします。

そんな時に「失敗なんかじゃないよ。挑戦しているんだから。次はうまく行くよ。だってXX、〇〇は学んだものね。だんだん成功に近づいていることは確かだね。」、「ケアレスミスなんて失敗のうちじゃないよ。誰もが犯すよ。再発防止策を考えて実行しればいいことじゃない!」、「離婚したの!よかったね。この経験をへたからこその次の”好き”が楽しみだね。一人を選択しても自由な時間を何かに役立ててね」とか。

希望を運んでくれる、そんなひとが近くにいる、それが大切なことですね。

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