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情報量が多いという芸術

昨日瞑想してた時の話。

今から15年ほど前だったか、ニコニコ動画というコンテンツが一時代を築いた。
アングラで兎に角カオスで、情報量と音の暴力ばかりのmad。それに魅力された方は多いだろう。

当時私は小学三年生、友達の家に遊びに行った時、友達がドナルドとキーボードクラッシャーを教えてくれたのだが、まんまとハマってしまった。
なんかボーボボみたいで面白えなと。

恥ずかしながら当時の口癖は「ランランルー」であった。訳すと死ね死ね消えろっていう、嘘か本当か訳の分からない説も流れていたんだっけ。

兎に角ツッコミどころが多い。madにすると尚更。
興味ある方は調べて頂けたら嬉しい。


待てよ。
一周回って芸術的だ。
なんて思うのは私だけだろうか。

懐かしさと同時に、べらぼうに多い情報量を脳が頑張って処理しようとしている。
それを理解し、動画の芸術性を見出した時、それは趣深さに変わる。
思い返すとゴッホのゲルニカを観た時の衝撃に似ている。

カオスと芸術は紙一重かもな。

スマートなものを求める様になった今、大切なのはひょっとして、情報量の多い芸術性のあるものなのかも知れない。


余談

最後に、この記事はこの曲を聴いて書いてました。

https://youtu.be/5b9JzKhhVZo

.hack//signのopです。小6か中1くらいにBS11で見てたのを覚えてます。
吸い込まれる様なサウンドに小刻みな重低音。
2000年代前半のアニメだったな、当時のアニソンも凝ってるなあ。

ご自愛ください。
ではまた。


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普段 @bokutarodesu
写真 @film_odennn

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