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海外で「I am Japanese」と主張する日本人 #19歳僕のギリシャ2ヶ月放浪記4

だらだらと記事を書いていたら題名にもあるギリシャにまだ辿り着いていないことに気付いた。本記事を最後に次からはギリシャでの出来事をまとめていきたい。

差別の恐怖感・孤独感を和らげてくれた存在

ローマ最後の記事は人種差別を受けて自分なりに考えたことをまとめていきたい。
ローマ初日で4回人種差別を受けた後の2日間は宿泊先で引きこもり生活を送っていた。もうギリシャに行かずに日本に帰ろうかなど色々なことを考えた。そんな鬱的な2日間だったが、同じ宿泊先に滞在していたスーダン人の男性(当時25歳くらい)が僕を助けてくれた。彼とキッチンですれ違った際に「なんで外に出ないんだ?」と唐突に聞かれ、初日で起こったことを全て話した。すると彼はお昼ご飯を一緒に作ろうと言ってくれ、トマトスパゲッティを作った。彼はイタリア人の彼女に会いに、ローマに来たそうなのだが、彼も今までにヨーロッパで何度も人種差別を受けた経験を話してくれた。そして最後に「気にするな。俺は君のことが好きだよ」と言ってくれた。彼はもうこの時の事を覚えていないかも知れないが、その時の僕はこの言葉に救われたような気がした。勇気が出た。ネガティブになるのを辞め、ギリシャに行く事を決心した。

差別が差別を生む、人間は醜い生き物

時間軸は変わるが、この旅・その後の旅で受けた人種差別を消化するのに2年ほど時間が掛かったが、後に家族や友人と僕が受けた人種差別の話題になった際に聞かれたことを共有したい。何人かは「なんで日本人ですって言わなかったの?」と言ってきた。彼らからすると中国人だと思われたから差別されたのだと考えていたようだ。僕はこの反応を聞いた時に、一部の日本人は、本気で日本人はアジアの中で優性民族だと考えているのだとびっくりした。そもそも差別を受ける際に「僕は日本人です」と主張する時間などないし、差別をする者にとって中国人だろうと日本人だろうと関係がない、ただアジア人が嫌いなのだ。「日本人ですと主張すること」=「中国人(その他アジア人)に対する差別」に繋がっていることに気付いていないのだろうか。人種差別を受け、それを異なる人種に繋げる、そうやって人種差別は続き、終わりがないのだと思った。
このように人種差別を根絶することは不可能だと思う。人間は下を見て自らの優位性を確保したがる動物であるため、異なる人種が存在している限り、人種差別は絶対になくならない。ただ人種差別を行動に移さないことはできる。特定の人種が嫌いな人の意見を完全に否定するつもりはない、ただその感情を表に出さないことはできるはずだ。物理的な人種差別が減ることで、その被害者が減っていく事を心から願っている。

というのも人種差別はその一瞬だけ被害を受けるのではない。その時の傷は後も続くことになる。人種差別を行うものにはトラウマについて深く考えて欲しい。僕自身も後の2年間ほど不安障害に悩まされた。具体的には、公共の場や電車などの公共交通機関内で常に人の視線を感じる障害だった。誰も僕の事を見ていないことを頭では理解しているのだが、なぜか周りが僕の事を軽蔑した目で見ていると思い込んでしまうのだ。視線を上げても誰も僕の事を見ていない、そうやって不安から何度も周囲を確認してしまう様子が2年ほど続いた。この障害を持った原因は明確だ、人種差別は急に起こるものではない、ターゲットとして定められ、じろじろと見られた後に起こるのだ。この時の「じろじろと見られる」ことが原因でこの障害を背負うことになった。この原因に気付いた僕は、障害を克服するために努力した。そして今は昔ほど人の視線を感じなくなった。

少し重い内容になってしまったが、今日も人種差別は増え続ける一方であるため、自分なりの考えや経験を共有してみた。
そんなこんなでローマでの旅は困難が多かったが、ギリシャでの旅は今でも振り返ると「人生最高の旅」といっても過言ではないほどに貴重な時間になることを当時の僕はまだ知らない。

つづく。


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