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生まれて初めて人種差別を受けた話 #19歳僕のギリシャ2ヶ月放浪記3

ローマで人種差別を受けた経験について書いていきたい。前の記事でも書いたが、ローマ郊外のAirbnbから中心地に向かう電車の車内・中心地周辺の道・帰り道で計4回人種差別を受けた。

人種差別って怖いし孤独

人種差別に軽いも重いもないが、1回目の車内で受けた人種差別は後に振り返ると軽いものだった。僕は中心地に向かう電車に乗り、とりあえず空いている席に座った。すると2駅先くらいでロマ人の女性(昔はジプシーと呼ばれていたが差別的表現のため現在はロマと呼ばれている。実はギリシャで彼らの自立支援をするNGOでインターンシップを行ったが、それは後の記事で書いていきたい)が乗り込んできた。その女性は座らずに立っていたのだが、ふとした瞬間に目が合った。僕は目が合うとスマイルで対応したが、彼女は両手で目を吊り上げるジェスチャーをしてきた。一瞬なぜその行為をされたのか理解ができなかったが、それはアジア人軽蔑を指す行為だとすぐに認識した。どう反応したらいいのかわからずに、とりあえず携帯に目を向け、何もなかったかのように振舞った。

2回目の差別はローマ中心地周辺を歩いていた時に起こった。ローマの観光地を一通り見終わった後に、中心地を囲む街に興味があり、中心地より20分程外にある街を歩いていた。すると向かいから70歳程の白人男性が手に持った紙をちぎりながら歩いてきた。最初はその理由がわからなかったが、僕の事を凝視しながら近づいてくる彼に違和感を感じていた。すると横を通り過ぎた瞬間に小さくちぎられた紙切れを僕めがけて投げてきた。同時にイタリア語で3秒ほど罵声を浴びた。どうしたらいいのかわからず、周りを見渡した。5人程この瞬間を見ていたが、助けに来ようとする人はいなかった。その場にいる全ての人が敵に見え、何も言わずとりあえず前に進み始めた。この時に何故だかわからないが、攻撃的な行為を行った彼ではなく、周りと見た目が違う僕が悪いんだと思い込んでいた。

2回目の差別を受け、強い孤独感と恐怖感を持ち始めたため、観光するのを辞め、宿泊先に戻ることにした。帰り道の道中や電車を待つプラットフォームなどでも全ての人の視線が気になった。目が合った人が何人もいたが、怖くて目を逸らし、前に進み続けた。電車を待っている時間がすごく長く感じた。待っている間に僕の見た目のどこが悪いのかずっと考えていた。その時に、着ていたコートのフードの淵周りにもふもふしたファーが付いていることに気が付いた。周りを見渡し、誰も同様のファーがついていないことに気付き、それを剝ぎ取った。心なしか少し周りと同化することが出来たと思い込んでいた。電車に乗り、宿泊先の最寄り駅に着いた。道中常に周りにいる全ての人が僕の事を軽蔑して見ていると思い込んでいたため、ストレスで頭痛がしていた。早足で駅を出た時に待ち構えていたのは3回目の人種差別だった。当時(19歳)の僕よりも2つか3つ下くらいの少年・少女計8人ほどのグループが駅前でたむろしていた。その一人と目が合ったが、すぐに目を逸らし、宿泊先に向かって歩き続けた。2分後くらいにそのグループが後ろを歩いていることに気が付いた。怖くなり、より早足で歩くが、引き続き後ろを付いてきているのがわかった。するとその中の4人ほどが僕に向かって鼻を鳴らし始めた(豚の鳴き声のものまね)。同時にイタリア語で何か言っている。より怖くなり、後ろを振り返ることなく全速力でそのグループを撒いた。どうしたらいいのかわからなかった、ローマにアジア人として存在している僕が全ての間違いだと思い込んだ。

宿泊先まで5分ほどのところまで辿り着いた時少し安心していた。それも束の間、前から2回目の時と同様に70歳程の白人男性が僕の事を凝視しながら近づいてきて4回目の人種差別を受けた。通り過ぎ際に唾を吐いてきた。もう心がヘトヘトだった僕は、何もなかったかのようにそのまま歩き続けた。そして宿泊先にやっとの思いで逃げ込むことに成功した。
その後の2日間は食料調達以外は一切外に出ることなく宿泊先のベッドの上で時間を過ごした。

イタリア語が理解できないため、上記全てが人種差別かどうだったかはわからない。ただ何かしらの行為を受けた身としては、すべてが攻撃的に感じた。僕からは彼らに何の攻撃的な行為も行っていない。僕はただ歩いていただけだ。

その後の宿泊先での2日間で考えていたこと・この出来事を日本に帰ってから友人に伝えた時の話(この話を共有するまで2年ほど整理の時間が必要だった)・日本でも残り続けたトラウマについては、少し本題の「19歳僕のギリシャ2ヶ月放浪記」からは脱線するかもしれないが、これらも旅の一部だと思うため、次の記事で書いていきたい。

つづく。


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