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多動、衝動っぽさのある有名人が持つポップさについて思うこと

私は、知的な遅れはなく、ギフテッドでもないADHD+受動型ASDの子と、ADHD+LDの子を持つ2児の父です。子供達に【二次障害】が起きたとき、親として思考停止せず最善を尽くせるように、日々起こる事の整理も兼ねて書いています。
 
今回は、下の子の、独特な「明るさ(華)」について。
 
下の子は、「窓ぎわのトットちゃん」のトットちゃんのように天真爛漫なタイプの子供なので、夫婦共々、心療内科に行かなくとも「ADHDなんだろうな」と受け入れるのは早かったです。
 
ちなみに昨年、映画「窓際のトットちゃん」を家族4人で映画館へ観に行ったのですが、トットちゃんの教室のシーンでの多動っぷりに、下の子は席を立ちあがり「似すぎ~~」と笑いながら鑑賞していました。(著書の中で「ADHD」と断定はしていないです)
 
下の子が「ADHD」だと、すぐ気づけたのは保育園での過ごし方で目立つ点が多々あったからです。保育園で担任の先生が変わるたび、保護者面談で「朝礼で座って話を聞くことが難しいみたいです」と言われたり、運動会を観に行けば「発達性協調運動障害」を感じるぎこちなさがありました。深刻になるほどではありませんでしたが、「言葉の遅れ」もほんの少しだけ気になっていました。
 
小学校に入学する前、念のため、市の発達障害者支援センターに「支援学級に行くべきか?」と相談しに行きました。相談員の人達が下の子に「時計の針は今何時をさしている?」とか「このひらがな読める?」などの質疑応答があったのですが、緊張感のある場だと、下の子は優等生へと変身する癖が。多動は止まり、しかも勉強が苦手なわけでもないので、「なんで相談に来たんですか?」というぐらい正答率も高く「支援学級に通う必要はないですよ」いう結論になったのでした。
 
そして、小学校は通常学級に入学。1,2年生は、トットちゃんのようなエネルギー溢れる多動、サザエさんのような愉快な不注意、のび太くんのような運動の苦手さや不器用さはあったとしても、全員幼いので、そこまで浮く事なく過ごせていました。
 
低学年の頃の担任の先生は優しくて褒めて下さる先生だったのも大きかったです。下の子を含め、よく忘れものをする子に対して、「忘れ物チェック表」を作って下さるなど、色々工夫してくださり、下の子も学校生活を楽しんでいました。校長先生にも「校内で、挨拶が一番気持ちいいね」なんて声をかけられることもあり、下の子の表情は誇らしげでした。
 
とはいえ、1年の頃から快活で無鉄砲でもあるので弄られることはありました。誰にでも「ファック」とまき散らすジャイアンタイプの子がいて、その子に帰り道、通学帽を取られて水たまりに落とされたり、ひとり公園で買ったばかりのボールで遊んでいると遠くに蹴飛ばされるなどして泣いて帰ってくることが、たまにありました。ただ、凹むことはなく、毎日、のび太くんのように笑顔で学校に行けていたので、子供のよくある光景と流していました。
 
そして、小学3年生。強めに注意してしまう先生が受け持つことになります。(協調性を大事にされている先生でした)

すると、正義感強い子供たちが、自分たちも、先生を真似していいと思ったのか、先生がいないところで下の子を、どんどん注意し、最終的には、その通りにしない下の子に対して無視を始めるのでした。この無視に関しては、もう少し考えがまとまってから書き記したいと思いますが、いま言えることは、発達障害について知識がない優等生の正義感は危ういということです。
 
3年生の後期に、ADHDの子の性格や集団無視にあったことなどについて、担任の先生、校長先生、心理カウンセラーにも丁寧に説明したことで、4年生は、3年時と同じ先生が担任となり、色々と勉強もしてくださって対応も代わり、友達も出来て楽しく過ごしていました。(精神年齢は3分の2歳。担任の先生にADHDを理解してもらうというのはとても大事なことだと思っています)
 
と、下の子のここまでを綴りましたが、私は、下の子と過ごしていて強く感じることは、「明るい子だなあ」と思うのです。そう、無視されようが、下の子には、独特なポップさ、華で、現状を乗り越えるのです。
 
私は、その時代その時代の旬の有名人をゲストにお招きする仕事をしていますが、発達障害にまつわる勉強をすればするほど、有名人(芸能人YouTuber、文化人、起業家等々)に、発達障害とは言わずとも、凸凹がありそうな人が多いと感じるようになりました。

表方であれば周りをパッと明るくするスター性。裏方であれば、得意分野にまつわることの圧倒的なアイデア量。そして、表方も裏方も内なるエネルギーが湧き立つことであれば即行動と、そのパッションに圧倒されます。(発達障害の子を持つ親御さんなら同じ事を感じていると思います。最近、私と同じような発言をポジティブに発信する識者が増えているようにも感じます。賛否両論あるかもしれませんが、私としては、子供に適した居場所で活動して欲しいと願っているので、こういう発信は嬉しいです)
 
仕事柄、有名人のインタビュー記事も、よく読むのですが、有名人のエピソードに「授業中喋ってばかりいた」「楽屋にすぐ忘れ物をする」「色々なアイデアがとめどなく浮かぶ」というニュアンスのことが書いてあることが意外と多いんです。このような点からも「みんなちがって、みんないい」な芸能界やYouTuber界、スタートアップ企業などで輝く凸凹がありそうな人達は、定型発達の人より、周りとの違いを理解しながら個性を鍛え続けてきたので、光と陰が濃い凸凹な場所が向いていたのだと思います。

もう少し踏み込むと、凸凹をいかんなく発揮している華のある有名人ばかりが集まる場だと、定型発達の人が浮くという現象が起こるのも興味深いです。
 
だからこそ協調性や全ての教科で平均点以上をとることを目指す義務教育は、発達障害を持つ子どもたちには難しい気がしますし、可能性をつぶしてしまう事も多いように感じてしまうのです。個人的には、ADHDを持つ下の子への心配は、前へ倣えの高校生活までだと思っています。就職においては、自分にあった居場所(得手不得手)をきちんと理解していれば、トライ&エラーはあるにせよ、最終的に安全基地(パートナーやメンター)を見つけられると思っています。(子供時代に夫婦で愛情をもって、特性も理解してサポート(躾や感謝の心等々)することは大前提で)
 
で、ADHDの子を持つ親御さんは、子供が義務教育の壁にぶち当たった時、ここに行きつく方が多いと思います。「令和の『トモエ学園』をネットで見つけたとしても、その学校はお金がかかるから、我が家では難しいかも…」と。自助会に参加した際、「不登校になった子のほうが、お金がかかるのが悔しい」とおっしゃっていた親御さんがいて、たくさんの参加者が強く頷いていました。
 
ただ、ほんの少しの希望もあって、ネット社会の時代、大きな波が来た時に、皆で声をあげれば、制度や法律が変わる時代になりました。なので、私は、我が子だけでなく、親族や知人にも障害を抱える人がいるので、教育において嬉しい制度や仕組みについての大きな波が来た時、せめて1票入れられる人でいたいと思っている次第です。

例えば、特別支援学校(学級)や不登校の子達がオンラインで学習できるような場が増えていることは素晴らしいことだなと思っています。

2000年代前半までは、公立の学校でも在籍されている心理カウンセラーの方や、合理的配慮をしていただける、引き継ぎのための「就学支援シート」もなかったわけですから。ADHD特有の天真爛漫さのある下の子には、いつも元気をもらっています。その明るさが学校生活で消えないよう、親として出来る限りサポートしていきたいものです。
 
最後に、発達障害の子を持つ親御さんで「昔のようにバラエティ番組で純粋に笑えなくなった」という方、多いのではないでしょうか?

2016年、編集協力をした書籍「生きる理由を探している人へ」で、作家の平野啓一郎さんが「社会と笑い」についてこう語っていました。「いまは、昔のお笑いとかもYOUTUBEなんかで観られるから、漫才ブームのころの漫才を観ることもあるんですけど、『いまだったら厳しいだろうな』って笑いも多い。なんていうのか、今の感覚だと差別的だったり。クラスのちょっと変わっている子をバカにしているようなものもあって…」「たとえば「バカ」ということにしても、昔だったら、「あいつバカだな」って笑いの対象になっていたような人が、実はアスペルガー症候群だったりとか…」2016年の書籍です。平野啓一郎さんの時代を読む力、凄すぎますよね。

昨今の「テレビ離れ」「新しい時代のメディア」などが議論の遡上に上がった時、発達障害や不登校など子供たちの今にまつわる事も触れて欲しいと思うのは、私だけじゃないはずです。


 ※二次障害とは、うつ病、不登校、引きこもり、対人恐怖症、暴言・暴力など行動面の問題、頭痛、食欲不振、不眠など身体的な不調のようなものが挙げられます。また、自分の性格(特性)に合わない環境で過ごすことで発症しやすく、長期間、二次障害の状態が続くと社会復帰が困難になることもあります。
 
 

 

 
 


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