「ぼくのniwa」のはじまり
はじめまして。東京都杉並区高円寺にある「ぼくのniwa」を運営するぼくです。
これまでと今の想い、これから繰り広げられる構想を「ぼくのniwaのはじまり」として記事にすることになりました。是非読んで頂けると嬉しいです。
01.「ぼく」について
ぼくは小学生の頃から足が速かった。それもあって中学の時に陸上部に入部し、後に都の強化選手にも選ばれるようになった。
しかし当時の陸上の立ち位置はマイナーで、その当時のぼくは現実的なことに目を向け将来の事を考えるようになっていった。
部活の延長にしかならず実業団止まりだな…
陸上は稼げず、サラリーマンと変わらないじゃないか…
周りの影響で車やバイクが好きだったこともあり、何か手に職つけたいなと思い、工業高校へ進学することを決意した。
入学して気付いたのが、すぐ稼げるわけではないということ。
メーカーに就職しようとすると、高卒だと入れない。卒業と同時に働こうかなと思い、2年生の時点で就職コースに入っていたが、高卒の初任給が額面16~17万円、大学に進んで卒業、就職すると20万円。それなら大学に行こうかなと。まんまと騙されたように進路を決めていった。
進学コースは学力を重視する一方で、ぼくが進んだ就職コースは、作品を出しレポートを提出してさえすれば良かった。つくることが好きなぼくは当然の事成績は良かった。
大学の進学先は指定校推薦でいけると言われ、ある日大学の進学相談ブースに行くことになった。機械系の説明に熱が入ったブースには長蛇の列ができていた。
こんな行列待てないなぁ。説明はもう聞かなくてもいいかなぁ。
何に焦っているか分からないぼくは、ふと隣のブースに目が移った。
グローバル、創造、工学、謎の言葉が並んでいるブースが空いていた。早く帰りたいなという思いと、基礎知識は機械、留学に行けて英語が学べるなら良いなと思い隣のブースに並ぶことにした。
晴れて入学すると、英語でやる授業もありついていけない。授業のレベルが高く内容についていくのに精一杯であった。そんな大学生生活は授業の他に、鳥人間コンテストにも参加しチームプレーを学んだり、当時寿司屋のバイトもしていた。
その寿司屋の客層は凡そ年収2000万円越えのいわゆる富裕層の人達だった。大将、弟子、バイト(ぼく)カウンター9席のお店。一升瓶に小さい器に注ぐもカウンターをびしょびしょにしたり、お客さんの服を汚したりしてミスばかりだったが、お客さんは落ち着いており余裕だった。
お金の余裕はこころの余裕なんだなぁ。
そういう大人になりたい、自力で稼げるようになって月に1,2回はこの寿司屋に行けるようになれたら良いなと。沸々とそういう想いが芽生え始めた。
大学4年で卒業して就職したいと思い、親父も公務員であったことからとりあえず公務員試験を受け無事合格するが、寿司屋に来る人は経営に携わる役職の人ばかりなので大学院の経営方面に進むことにした。
ただその時ぼくは気付いた。
漠然とお金が欲しいのではなく、どこまで頑張れば稼げるのか。を明確にしたかった。何をしたいからお金を稼ぐという目標が重要であって、お金だけもらっても仕方がないと。
大学院卒業後は、実家が不動産関係の事業をやっていたこともあり、経営を学ぶためにも不動産に就職。
そして、入社することになった会長さんに惹かれたのだ。
その会長は理系出身でメーカーに就くつもりだったが、実家の米屋に就職。一代で16グループの会社を作り高級外車を所有している70代。毎年、宝くじが当たっているような年収をもらっていた。この人はかなりやばそうだ。
早く会長の近くで仕事をしたかったので、同じビルで仕事をする部署を狙ったが、ある時会長に呼び出された。
「営業は外に出ないとだめだろ。なんでオフィスにいるんだ。」と怒られた。怒られた翌日も偶然オフィスで出くわし、また呼び出された。
「営業がそんなに嫌いか?実際にはどうなんだ?」
「正直分からない。正直苦手かもしれない。」と答えた。
「んじゃ、俺の下で働け。」という言葉とともに、経営企画部会長付として配属に。いわゆる鞄もちだった。
そのポジションに配属された人は短くて2週間、もって3か月。決まった内容がなく臨機応変に対応が必要な仕事内容であった。その為、長く配属された人は関連会社の役員になったりするが、場合によっては退職を進められる事もある。とりあえずぼくは1年続けた。
会長の近くで仕事をしていると、「すごいことやってるんだなぁ、こういうところまで仕事しているんだなぁ。」と実感することが出来た。
でも結局この会社は、会長のものなんだ。
会長という楯をつかって動いていて、勝手に経営をしているつもりがあったが実際にはしていないなと。
このまま続けても自身の成長が難しいと何か違和感を感じ始めた。それなら自分でやってみようと独立。
経営陣になれれば寿司屋に通えるんじゃないか?
社会人5年目のぼくに伝えたい。そんなことねぇと。
ぼくはよく、仕事について砂漠を使って表現することがある。ピラミッドを積む仕事は企業の役割と似ていて管理する人と実働する人がいる。それぞれが組織に所属し組織に守られている部分がある。しかし、稀にその組織から抜け出しオアシスをさがす人がいる。ぼくの起業はオアシスを見つける為だったと思う。
オアシスがなかったピラミッドを積む仕事。
でも、またピラミッドを積む側に戻るかもしれない。今戻ったらサラリーを本当にありがたく受けとる。その自信はある。固定給のありがたさ。そこに依存し続けるかどうか。
今は独立して、ただ槍だけを持ち何もない砂漠にいる。今はオアシスを探していて、少ない水を飲んで考えている期間。
そんな少ない水で、ぼくは今新しいことに挑戦しようとしている。
02.「ぼくのniwa」とは
ぼくは、東京都杉並区高円寺の元病院である建物を更新し続けながら、施設の運営を始めました。
「ぼくのniwa」はフリーランス、クリエイターなど様々な人たちが集まって、休憩・テレワーク・短、長期滞在・実験・ものづくり・場所づくりなど、使い方や関わり方を自由に選択できるみんなの勝手口のような施設。
高円寺に降り立ったら、先ずはここに立ち寄ってもらい、一旦靴を脱いでくつろいでもらう。
そのまま作業したっていい。
何かつくったっていい。
楽な履物に履き替えて、近くの居酒屋に行ってもいい。
飲みすぎて終電を逃したら、ここに泊ってもいい。
高円寺という町を家として、ここを勝手口として使ってもらう。そんな施設を目指しています。
03.プレオープンの時が来た
早速ですが、2020年10月3日(土)プレオープンイベントを開催します!!!
まだ更新し続けているのでプレオープンです。入居者もだんだん増えてきているので、先ずは入居者の歓迎会も兼ねてのイベントになります。
これから先、住んでいる人と訪れる人がこの施設に対して自由に関わり、オープンに近づければ良いなと思っています。
また、当日はこじんまりとしたワークショップも開催予定です。
高円寺特有の、どこでもひとり飲みが始められる木のプレートをつくります!好きな形のデザインをスケッチしてもらい、後日自由に受取に来てもらい、持ち帰るorその場で仕上げ作業します。+好きなグラスと小鉢が貰えるようになっています。
ワークシートのPDFダウンロードはこちら
施設を共に更新しながら、関わる人たちといろいろ企画していきます!
今後毎週土曜日は何かしらイベントを開催していくようにするので、情報や日常をTwitterでも配信しているので是非チェックしてみてください!!
イラスト:KMD(kasemikidesign.com)
高円寺駅から徒歩5分‖営業9:00-21:00‖会員募集中‖
心を脱ぐ、みんなの居場所
東京都杉並区高円寺南2-48-12
Twitter:@koenji_niwa
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