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旧正月の神社にて

本日は、中国の旧正月にあたるらしい。
縁あって某神社にお詣りに行ったら、偶然にも式典の途中で、少し参加させてもらえた。
今日もとにかく運がいい。

その神社からは最近、足が遠のいて、理由は元彼と最後に暮らした家の近くにあるから、私が地元を離れた最大の理由。

当時は、街のいたるところで彼の気配がした。
コンビニに入って飲み物を買おうにも、「これ好きだったな」「これはよく買ってくれた」「これは一緒に飲んだな」、そんなことばかり考えて、何も買えない日が続いた。

別れた直後、なにも自分で決める気が起きず、ただどうしても、この街にいるのが辛すぎて。
スピリチュアルに疎い私にしてはめずらしく、その神社でおみくじを引いて、その結果にすべてを委ねることにした。
自棄になっていたのだろう。

「私の人生決めてください」、お詣りをして社務所に向かうと、神社の修繕の関係で社務所が閉まっていて、おみくじを引くことが出来なくなっていた。
言わずもがな神様から、「自分の道くらい自分で決めや?」と通告されてしまったわけである。

そこから4年間、語り尽くせないほど色々なことがあったのに、毎日変わらず泣いて泣いて、電車の中でも泣き続けるので、目に雑菌が入って何度か結膜炎になったほど。

顔も声もあやふやな彼をどれだけ想っても、自分が誰を愛しているのか最早判らない。
それでも、彼を愛さなくなる自分が怖かった。
あれだけ愛した人を愛さなくなる、自分の不義理に耐えられない気がした。

私は一途に人を愛せる人間のようだ。
恋人だった12年、別れて4年、この16年は私の誇りでもある。
ただ、あるきっかけで気付いてしまった、私はもう元彼を愛していない、今はっきり言える、そんな自分もまた私の誇りである。

今日、神社に行く道中、元彼のことなんて、これっぽっちも思い出さなかった。
とても大切な人、その想いは変わらないけれど、もうちっとも悲しくはない。

修繕の終わった社務所で、今日こそ、おみくじを引いてみた。

「冬がれの 草木もいつかは 春来れば
もとの青葉を 見るぞうれしき」

冬に枯れた草木も、春が来れば新しい青葉を茂らせる、それを感じるのは嬉しいことだ。
神様ありがとう、今日もとにかく運がいい。

私はきっと、これからも人を愛さずにいられない。
そんな自分に気付いたこと、幸せだなと思う今日。

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