私は生き方を探していたいんだよ。
2022/6/19(書き始めたのはこの日)
***
前世がオームだった人たち。
*
風の谷のナウシカ。言わずと知れた名作アニメですね。漫画原作の方は一回しか読んだことがなくて、いつか買い揃えたいなと思っています。
…というのはまあ正直どうでもよくて、風の谷のナウシカで一番魅力的なのは腐海の森と王蟲(オーム)だと思うのです(個人的な意見)。
腐海の森とオームの関係性を、僕のなんとなくの記憶を頼りに軽く言葉にしてみます。
*
腐海の森には菌類(きのこ)が茂り、空気は人間にとって猛毒でマスクなしでは息ができない。そこには巨大な虫たちが暮らしていて、その虫たちの長のような存在がオーム。日本でいうキツネやオオカミのように知性を持って森を守っている存在のように描かれていて、普段は温和だが虫たちの警戒音で臨戦状態になる(怒りで我を忘れる)と侵入者を躊躇なく攻撃する。
オームは我を忘れると自己生存よりも種全体(もしくは腐海の森全体)の生存のために行動する。オームが"心優しい"と言われるのは、オームの普段の温和な性格と、仲間意識の強さと、オームに傷を癒す力があり、利他行動を厭わないことに由来するような気がする。
*
前世がオームだった人たち。
何というか、オームっぽい人っていると思うのです。自分のことは後回しにして(しまって)、手の届く(警戒音が聞き取れる)範囲の人に惜しみない愛を注ぎ、時には誰かを守るために立ち上がる。。自分を削ってでも相手の傷を癒そうとし、それを厭わない。
僕もどちらかというとそんなタイプです。思い上がりだとか思われるかもしれないけれど、これは別に"前世がオームの人たち"は素晴らしいと言っているわけじゃないんです。
オームを信じていることは正しいように思えるから、彼らは自分の傷を顧みることができない。逃げられる刃に逃げようとしない。その身に受けるのが誰かのためになると信じている。
本当に?
誰かが受けなければいけない傷を、あなたが肩代わりするのですか。本当に、どうしても避けられない、誰かが受けなければいけない刃だったのですか。そうだとしても、なぜあなたは悲しそうに笑ってそれを受け入れるのですか。
それが僕の目には悲しく映ることがあるのです。
(きっと僕も外から見たらそう見えることがあると思います。知っていても簡単に変えられるものでもない、本当そうですよね。少なくとも、「これが正解ではないかもしれない」という意識は忘れないでいたいものです。)
**
オームのイメージは僕も時々浮かびます。だからこうして文字にしているのだけれど。
だけど、オームが心優しくて美しいのが事実だとしても、オームが人としての理想であるとは思わない。そもそも、オームを(日本固有の信仰である神道のように)儚くも美しい、大自然の神のように思い描きたいのは人の利己かもしれない。自然の代弁者、、のように見えても、オームはただ、自分たちが適応してきた腐海の森、つまりは今まで住んでいた生息地を脅かされて反撃しただけだし、ナウシカを救ったのは同種の血のついた服を着ていたから間違えただけ。。
僕はそれでいいと思っている。
オームは人の理想ではない。
僕らは守りたい、守るべき人を傷つけられたなら、大切な誰かを傷つけられた"自分のために"怒るべきかもしれないし、怒りに駆られたときにも自分の切り傷を顧みる理性が必要で、自分を削ってまで人の傷を癒そうとしなくていい。
癒そうとしなくてもいい、という理性を残しておかなきゃいけない。自分じゃなくてもいいけど、それでもいいと、それでもそうするのだと言うのなら。他の人でもいいのにその道を選ぶこと全部背負って余りあるというなら、あなたの背中を泣いて見守るわ。
人の傷を癒したいと思うのは、感情の元を辿れば、その相手のためではなく、その人の悲しい顔を見たくないという自分の願望かもしれない。傷だらけだと知っていて何もできない悔しさかもしれない。
生きてほしいと思うのはその人のためじゃないかもしれない。その人のいない日々を迎えたくないから。その人の"手を取れなかった"自分をきっと許せないから。その記憶を抱えたまま生きたくはないから。
僕らは彼らのように崇高で誇り高い(ように見える)存在ではない。自然の中にそれを見出したとしても、それを盲信してはいけないと思うのです。最近アニメ映画化された「鹿の王」(上橋菜穂子さん作)の冒頭もそこから始まりますよね(記憶違いならごめんなさい)。オオカミに襲われたシカの群れから躍り出る、一頭の牡鹿。群れのために身を投げ出す“鹿の王”を、その犠牲を、気高い存在だと思って崇めてしまってはいけないのだ。
(長いけど原作もおすすめです)
犠牲を尊んではいけない。身を削って渡す優しさを、抱え込んで差し出す手を、押し殺して納得した理不尽さを。
それを受け入れるために、僕ら自身が尊んではいけない。僕はそれを尊びたくはない。
美しい一面だけ取り出したくなる。だってうつくしいのだから。美しいと言ってしまいたいから。でもそうして理想に据えても、至らない僕たちの心の裏側に、皺寄せのひとりの夜がやってきてしまう。
オームは優しい。優しくて綺麗だ。僕だってオームのようでありたいと思う。いつか部屋の窓際にはオームのレプリカを飾りたい(そのうち買うと思う)。
でももし、僕が理想として憧れるものがあるなら。同じように、森を追われ、森のために戦い、我が道を守ろうとする背中に憧れるのなら。それは、森のために戦い矛盾し悩み生きる、山犬でありながら人の子でもある、あのサンの方であると思うのです。
オームは生きろと言わないが、アシタカやサンは生きろと言ってくれる。生きる里が違っても、共に生きようと言ってくれる。
生きろ。泣いてでも生きろ。
無理に顔を上げなくたっていい。でも小石に紛れて咲く野の花々を、今日に差し込む陽の光を見つけられる私でいよう。
――共に生きよう。――
あのアシタカの声が胸のうちでひっそりと反響する。
共に生きよう。逃げたっていい。森を追われたらあの広い野の中で暮らそう。君がいなくても世界は大して変わらないが、君が生き延びることにはひとつの意味がある。
今日、ゲームを開いたらメニュー画面に設定してあるキャラクターがいいことを言ってくれたんです。
――オームは生きろと言わないが、
アシタカやサンは生きろと言ってくれる。――
私は生き方を探していたいんだよ。