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緩衝液になりたかった

高校の化学の授業でこの言葉を習って、僕はいつからか、クラスを中性に保つ緩衝液になりたいと思っていた。



そもそも緩衝液(かんしょうえき)とは、、、

希釈したり,外部から酸または塩基を加えても,それらの影響をあまり受けず,水素イオン濃度がそれほど変化しないような溶液。

(コトバンク「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」より引用)


つまり、酸性のものを入れてもアルカリ性のものを入れても、大体pH7(=中性)に保ってくれるという溶液だ。

これってすごくないか?酸性の溶液に塩基性のもの(水酸化ナトリウムとか)を入れると中和するのは理解できる。でも、この溶液には、酸性のものを入れても塩基性のものを入れても、中性のまま。前から押しても後ろから押しても10センチしか揺れないブランコ。そんなイメージ。



毎日、教室のpHは変化する。ーー誰かがクラスメイトの悪口を言ってみんなが同調する。、、そうやって今日も教室は酸性だ。でもしばらくすると、ついこの前まで先陣を切って悪口を言っていたあの子が、今度は悪口を言われる番になる。「あいつ、いっつも態度デカいよな」だって。そうか、今日からクラスは塩基性らしい。ーー
でも僕は正直、クラスが酸性だろうが塩基性だろうがどっちでもよかった。だってどうせどっちも居心地が悪い。中性が一番いいのだ。ハイターを使うときは必ず手袋をはめる。石鹸で髪を洗うと、シャンプーで洗ったときよりずっとギシギシする。

そんなことなら分かっているのに、クラスのpHになると誰も気にしない。もしくは、塩基性は嫌だと思っていても、酸性については黙認している。


***


ここからは僕が高2~高3の時のお話。

高2の夏頃、クラスで嫌われている女の子がいた。友達の財布を盗んだらしいという噂を聞いたし、実際に停学的な扱いを受けていた。クラスはどんどん酸性に傾いていって、「あの子は前も問題起こしたんだって」「あいつは前から嫌いだった」「ケロッとした顔しやがってまじでむかつく」等々とあまり心地よくない発言が飛び交っていた。誰かに対して不満があるなら僕なんかでよければ愚痴なら聞く。でも誰かの陰口は一言も聞きたくなかった。


定期テストの初日、その子が久しぶりに教室に帰ってきた。予想はしてたけどみんなそれとなくその子のことを無視していた。その子に「おはよう」って挨拶したのは、僕と、僕の友達と、もう一人クラスの女の子の3人だけ。

…何となく次の日から、僕はその子と一緒に行動するようになった。その子がどこかのグループ(今回は僕だった)に入ってしまえば、いつか馴染んでそのうち中性に落ち着くだろう。
でも本人がいないときに、「あの子のこと知ってる?やばいから付き合わない方がいいよ」って言われたこともあった。「ドラマの中みたいなこと言われた…」って内心ちょっと怖かったけど、、

しばらくしてもやっぱり、ときどきその子に対する陰口を耳にした。僕は勇気のない奴だから、「陰口なんかやめなよ」なんて怖くて言えない。でも、僕は高校でも “いじめられない立場”を得ることができていて(その代わり“変な子”だと思われていた)、僕がその子の陰口を言わないことや、その子と一緒にいることで僕はいじめられなかったし、誰もその子のことをいじめたりはしなかった。

高3になって、クラスで力をもっていた女子(ずっと悪口を言っていた子)が、逆に嫌われ始めていた。お昼ご飯を一人で食べたり、隣のクラスで食べることが多くなって、休み時間もずっとイヤホンで音楽を聴いていた。それは、人の悪口をたくさん言ったり大きな態度を取ったりしてたんだから自業自得だったのかもしれない。でも、矛盾してるかもしれないけど、僕はそれも嫌だったんだ。今度はクラスが塩基性に傾いていくのを感じて、どうにか中性に保ちたくて、その子と一緒に移動教室に入ったり、ご飯を食べたりすることもあった。


***


僕がしていたことは、ただの八方美人かもしれない。みんなにいい顔して、「陰口なんてやめなよ」という決定的な言葉は一度も言えたことがない。いつも本当は嫌いな陰口を聞きながらへらへら苦笑いすることしかできなくて、そんな自分は陰口よりもっと嫌いだった。でも、こんな僕でも、あのときクラスの緩衝液になれていたのなら嬉しいなと思う。


今でも僕は、緩衝液に憧れる。酸性にも塩基性にも動じない、10センチしか揺れないブランコ。酸性なら塩基性、塩基性なら酸性のものをっていうように、正面から立ち向かうような決定的な言動はできない。でも、酸性でも塩基性でも、まるで衝撃を吸収してしまったかのようにpH7に保ってくれる緩衝液が、僕にはとても素晴らしいものに思えてしまう。

僕はいつか、みんなの緩衝液になりたい。
ちっぽけな僕の小さな夢のひとつ。




最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。