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【短編小説】地球最後の日


――地球最後の日に花を植えるようなものだよ。――



彼はその時そう言った、首にタオルを巻いた軍手姿で。

お隣が空いてからまだ一年くらいだけど、もうこんなに草が伸びてる。僕がここを引き払ったら、この小さな庭もすぐに荒れていくだろうね。

こんなボロアパートの一階なんて、この小さな庭がついてる以外に良いところなんて大してないのに、ここに住むような人は大抵庭の手入れなんてしないんだよ。


楽しそうに笑っているように見えた。少なくとも、その頃小学生の私の目には。

私が代わりにお水あげるよ。


ありがとう。でもきっと大丈夫。この子たちは強いから。


何を、植えたの?


コスモスだよ。
自慢げに彼は説明してくれた。

きっと毎年咲いてくれるよ。本当は朝顔でも良かったけど、あれはフェンスに絡まってきっと寂れて見えてしまうからね。迷惑はかけたくないしね。
このアパートに誰も住まなくなっても、この子たちはきっと変わらず咲いているよ。


やっぱり私には、彼が花を植える理由がよくわからなかった。

どうして、もういなくなっちゃうのにお花を植えるの?


――地球最後の日に花を植えるようなものだよ。――

誰もいない街で、悠々と光を浴びている姿を想像してしまったんだ。だから植えることにしたんだよ。

そう微笑んで、彼は首にかけたタオルで汗を拭った。






そのシーンを毎年のように思い出した。彼とフェンス越しに会話した思い出のアパート。近くの一軒家も空き家が目立ち、最近はもう誰も通らない路地の奥に溶け込んでしまったけれど。それでも暑さが緩んで涼しくなってきた頃、自転車を止めてふと路地を覗くとあのコスモスが揺れているのだった。


取っ手の外れたおもちゃのバケツ。捨てられたコーヒー缶。アスファルトから顔を出す雑草。伸びきった生垣。もう何年も明かりのついていないアパート。時間が止まったこの路地には場違いな、あの一角のコスモス。

彼はあの時すでにこの光景を予期していたのだろうと思うと、鮮やかさを振りまくあの花たちから、何故だか彼の残影を感じてしまうのだった。


今思えば言葉通り、彼は地球最後の日にあの庭に花を植えたのだと、ひっそりそう思うのだった。






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最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。