見出し画像

家、ついて行ってイイですか?

というテレビ番組を最近よく見るようになった。

番組では街中で出会った所謂「そこら辺にいる一般の人々」に声を掛け、自宅について行って色んな話を聞くという一見何の面白味も感じないものだが、見てみると様々な、実に様々な人々の様々な人生がテレビに映し出されている。

私も含めて人は皆、良くも悪くも自分が中心である。当然だ。自分の人生は自分が主人公であり自分を中心に日々の生活が廻っているのだ。

ただ、そういう当たり前の感覚で生きていると、自分以外の人々を含む世界全般は、ゲーム画面のように目に見える部分以外現実的に存在していないのではないかという錯覚に囚われてしまうことがある。

自分が中心になり自分を主導に物事を考えてしまった結果、自分の人生を悲観し他人に嫉妬し羨望し、妬んで非難したりする。要は「自分って可哀想」というヒロイズムに陥り易いのだ。

しかし番組を見ていると、色んな人々の色んな人生を覗き見るに、当たり前だが それぞれ実に色んな経験をしていることを再確認する。

自分の人生が色々な出来事の積み重ねで成り立っているのと同様に、他人の人生も艱難辛苦、様々な経験の上に皆年齢を重ねてきたのだ。

画像1

そういう事を踏まえて自分の人生を振り返ると、改めて幸せな人生だったのではないかと思う。自分を客観的に見ることが出来れば、あくまで比較ではなく自分が今まで、どれだけ笑って過ごすことが出来たのか、たくさんの人に囲まれて生きてきたのか改めて思い知ることが出来る。

もちろん辛い事や悔しい思い、悲しい出来事もたくさんあった。でもそこに「人並みに」という言葉が付随すれば、人生そう悲観したものではない。

むしろまだまだ自分は甘いなと思えてしまうのだ。

番組の中に登場する「一般の、普通の人々」は、それぞれが夢や希望、挫折や悲しみを背負いながら人生を必死に生きている。「そんな大袈裟なもんでもないから」と言わんばかりに豪快に、そして時に慎ましやかに日々の生活を送っている。

私は幸い、子供の頃から自分を客観的に見ることが癖になっており(可愛くない)、自分を分析することが好きだった。かと言って少ない経験値故に失敗もたくさんしてきたし恥ずかしい思いも数えきれない程経験した。今でも毎晩寝る時、天井を眺めながら「目が覚めたら3才くらいの頃に戻ってねぇかな、今の記憶持って(←ここ重要)」などと妄想している。

きっとこの先もたくさん失敗するだろうし周りに迷惑をかけることもあるだろう。

人間って、きっとこういうものなんじゃないだろうかと思う。

誰かに迷惑をかけ、助けられ、世話になって生きていくのが人間なんじゃないかと。

「私は一人で生きてきた」という人がいる。きっと壮絶な人生を歩んできたのでしょう。ただ極端な話、あなたがさっき食べたご飯は、そのお米は、あなたの知らない誰かがその人生の中で色んな人との関わりの中で作り、届けられたお米ですよ。極端な話ね。

今不意に、お笑い芸人AMEMIYAの「冷やし中華はじめました」を思い出した。" 冷やし中華はじめました " たったこれだけの貼り紙の裏には、実に色んな出来事が積み重ねられている。これがリアルな他人の人生だ。

https://youtu.be/2OBPzBvlduA

誰も一人では生きられない。無人島で一人で生活しようと思っても、魚や動物、作物や木々の世話にならないとあっという間に餓死するだろう。

つまり、人は生きてる限り「様々な何らか」に感謝しないといけないのだ。

画像2

無数の人生の中にある、その内の一つである自分の人生。誰と比較しなくても、一歩退いて見てみればまだ救いがあると思えたら、それは良い人生。

因みに、私が一番好きなAMEMIYAの曲は

「地獄の門番」

である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?