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生きるということ

先に起こった様々な悲しい出来事もそうだが、総じて自分すらもよく知る有名な方の訃報、特にそれが自死だった場合の衝撃はかなり大きい。

亡くなった方にはもちろん自分で命を絶つほどの理由があるのでしょう。なので私達外野が「もっとこうしていたら…」などと無責任な意見を言う資格もないのでしょう。

ただ、残された家族や友人、とりわけたくさんの関わりのある人達の気持ちを鑑みるに、やはりもっと別の道は無かったのかと考えてしまうわけです。

世の中には色々な性格や性質の人達がいて、それが色んな所で絡み合いながら世界は廻っている。なので善くも悪くも単一的な思考では世の中は廻らないと思う。

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大切なのはバランス

昔から事ある毎に口にしてきた言葉です。

前後上下左右裏表北南、善悪に白黒。そしてきのこ派たけのこ派。はたまたジョン&ポール。世の中は常に対比する両極が無数に存在し各々自由にそれらを選択することと その自由がある程度認められています。

そしてその個々人の主張が尊重されることが理想的な世の中と考えます。

ただ、全ての人の全ての主張を全て汲み取った場合何処かに負担が生じてしまうのも当然で、そこでバランスが必要になります。

「譲り合い」「思い遣り」「節度」

という言葉はその為にあると思うわけです。

辛い想いをして、その気持ちをバネにする人、無かったことにする人、そしてその気持ちに押し潰されてしまう人。当然その時その時の精神状態もあるでしょう。

昔、病気で死にかけた時に思ったのだがよく漫画やドラマである「絶対死んでたまるか…!!」という表現。自分はそんな熱血キャラではなく、苦しさと息苦しさで遠退く意識の中、病院のベッドの周りに集まった家族や親戚をぼんやりと眺めながら ものすごいスッキリした気持ちになって「ひょっとして死ぬのかな…まぁ、短いけど良い人生だったか…」と早々思ったことで、自分はかなり諦めが早いということが露呈した。

幸い助かり健康になり運良く更に歳を重ねそれなりに色々と経験を積んだ今なら、…やはりそれは想像もつかないが。

15年前兄キが死んだことも、今だに理由ははっきりしない。

世の中に色々な性格の人がいる以上、生きること、そして死ぬことも ひとつの価値観では語ってはならないのかもしれない。

ただ一つだけ言えることは、

自分の友達や恋人、大切な家族や関わりのある人が自殺なんかしたら、悲しいし寂しいし辛いし悔しいし、腹立つし虚しいし。

要するに絶対 嫌だってこと。


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美輪明宏氏の言葉に

「自信がなくなったら、鏡を見なさい。
図々しく生き続けている自分の姿が見えるでしょう。
今まで生きてこられたのだから、この先も十分生きられる。」

この言葉を「なるほど」と思えるうちは、まだ大丈夫。

よく「人は何のために生きるのか」という禅問答のような問を定期的に耳にする。

何だっていいよ。昨日食ったラーメンが旨かったら、あぁ、このラーメン食うために生きてんだなって思うし。仕事終わったあとのビール飲んだ時に「この一杯の為に生きてるのよ!」って思ったこと一度くらいあるでしょう。でっかい夢や希望みたいな、そんな大それた大義名分なんていりません。

娘の放った屁が臭かった。それだけで生きる希望が湧いてくるのも愛嬌。

日常に ほんのちょっと、ほんのちょっとの楽しみさえあれば、もうちょい生きててもいいなって思えるんじゃないかなと。

そして自分の大切な人皆が 図太く生き延びていけるような 価値ある世の中に、私達はしなければならないのではないだろうかと思う今日このごろ。



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