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「夜が明ける」西 加奈子

娘のピアノコンクールがあり東京に行って来た。5日間ぐらいの滞在で
その内4日は渋谷を拠点にしていたので、渋谷のホテルに泊まり
歩いて行けるピアノのレンタルルームに通い、コンクール本番がある日は
会場に行き終わったらまたレンタルルームに行くという日々だった。
何度も何度もハチ公前を通ってスクランブル交差点を渡って生活した。

週末でもほとんど町では人を見かけないような所に住んでいる。初夏は
蛙の声、夏はセミの声、秋はコオロギの声、これはちょっと特殊だけれど
隣の人が山羊を飼っているので夕方になるとメエーーという声を聞きながら
生活している私。
渋谷のど真ん中で大音量の音楽を流してニヤニヤしている男子をみながら
「それは自分の耳の中だけで納められない何かなのか?」と思ったり
あれだけの人ごみなのにゆっくりスマホを見ながら道を歩いたり
動画を撮りながら急に止まったり、クソ暑いのに真っ黒の長袖の服を着て
地べたに座ったりする人がいて、私たちは同じ「日本に住む人」というくくりで良いのでしょうか・・・と思う。
まあとにかく東京って、なのか渋谷ってなのかわからないけれど、すごい所だ。

私は本でも映画でもテレビでも「汚い」映像が苦手だ。特に「トイレ」というワードがとにかく苦手。
なぜならトイレに関しては少し神経質すぎて基本家のトイレしか入りたくない。息子のサッカー、娘のピアノの送迎で往復だけで3時間かかる+待ち時間も合わせると6時間ぐらい外で過ごしているけれど、とにかくトイレに行かないようにしている。
学生時代、山オンリーの生活だったので、もちろん「きれいなトイレ」なんぞあるわけもなくトイレがあればいい方、なければ野で山で川で・・・の
生活をしすぎたのか、たぶん絶対そのせいだと思うけれど
トイレトラウマができてしまったに違いない。
だから小説で「汚い公衆トイレ」というワードを読むのも嫌
道端の描写が汚いのも嫌。

西さんの「夜が明ける」はそんな描写だらけだった・・・。
ちょうど東京に行くときの旅のお供本として持って行ったので、本の中の世界と渋谷が重なり、本の中で書かれる臭い、暑さ、息苦しさを
本当に肌で感じたような感覚に陥った。
母子家庭で貧困な環境の中、母親の虐待を受け育ったアキ。彼は身長が高く吃音があり悪目立ちするようなタイプの人間だが、高校の時の同級生だった
主人公にフィンランドの俳優アキだ!と見つけてもらったおかげで
その後「俺はアキだ」と俳優を目指す。一方主人公は世界を少しでもかえたくてテレビ業界に入る。
高校生だった彼らは貧困の中でもがきながら大人になる。
もがいてももがいても出られない貧困の中で彼らがいきつくところは・・・という内容なのだが、
貧困の世界を書いているのでとにかく「臭くて暑くて息苦しい」のだ。
途中で投げ出したくなるほど汚い世界だったのだが、投げ出してはいけないと思わせる何かがある本だった。
アキが行くとこ行くとこ、なんでこんなにかわいそうなの?と思いながら
何かに似てるなあと考えたら、それは映画「ジョーカー」の主人公が
「ジョーカー」になるべくしてなっていく様と重なった。
街の汚さも同じようだった。見たくないけど見ちゃう。読みたくないけど
読んじゃう。そんな本だった。

渋谷は汚くて臭くて暑くて人が多すぎる。
私はセミやカエルやヤギやコオロギの声を聞いて過ごし
スズメの声で目が覚めるような生活をしているけれど、
渋谷を去るときに「・・・・・・・・・・・なんかもう少しここにいたい」と思ってしまうのだ。
好きになったらいけない相手を好きになりかけた時の
若い時の気持ちに似ていた。

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