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ドラクエ

うちの母は73歳です。13年前からドラクエにはまりました。

 私は元々何かお気に入りのものを見つけたら、それをとことん追求しないと気がすまないタイプです。食べ物で「好き!」となればそればっかり食べ続けます。実際、ミニトマトにはまったのが5年前ぐらいで、そこから毎月4~5キロはミニトマトを取り寄せ、夏のシーズンは夫に植えてもらいます。うちにミニトマトがない日はありません。本で「この人の本が好きだ!」と思えばとにかく出ている本は読みまくる。音楽で気に入った!と思えばその作曲家、プレーヤーだけにおさまらず、そこに関わる人々も探り出して聞きまくる。映画も然り。あまり執着しないのは「人」と「車」ぐらいかなと思います。人はめんどくさくない人とばかり付き合い、車は燃費がよければそれで良いです。

 とまあ、「これ!」となったら突き詰める、そして少し収集癖もあり、それ以外が眼に入らなくなるこの性格。
  これはどうやら母親譲りかもしれないと思っています。

 母は転勤族の父について歩き、専業主婦を求められた人でしたので(私が中学校に入ってからはその縛りがなくなり、今までの恨みを晴らすかのように去年まで働き続けた)新しい土地に行くたびに色々な物作りの教室に参加して、ひたすら物を作っていました。お友達はそんなに必要としない人なので、友達を作るために、ではなく「新しくのめりこめる何か」を求めてだったのだと思います。「縫い物や編み物をすることがストレス発散」であり「それをしていると他のことを考えなくてもよい」のだそうです。ですから、物を作ることが苦にならない母は、時にそれは子供服だったり父のセーターであったり、お人形であったり、籐のかごであったりパッチワークのクッションであったりしたのです。
 そして、次にはまったのは本でした。小説もマンガもとにかく集めて、傍らに段ボールを置いてその中から本を出し入れして読みまくっていました。私が学校から帰ってくるとひたすら本を読んでいたことを思い出します。

 しばらく、働くことにのめりこみました。辞めてもすぐに次を見つけて間をあけず働き続けました。60歳の時、やっと安定した職場をみつけた母は新しくのめりこむこと、ドラクエを見つけました。部屋にこもり「オンライン」のドラクエをする日々。私はゲーム大好きだけどオンラインではやらないし、今ゲームをやったら家庭崩壊するし仕事もしなくなるに決まっているので封印中ですが、母の姿を見て自分の行く末を見ているようでした。のめり込み方が半端ないのです。
 ドラクエはある世界を自分のキャラクターを育てながら旅していくゲームで、やはりそこには敵がいますので強くしていかなければいけない。そして、剣で戦ったり魔法で戦ったり、戦って傷ついた人を回復する人もいなければいけない。更にそれがオンラインとなると「弱いとまずい」らしいのです(よくは知らないけれど。母談)。そのためには、キャラの育成、レベル上げ、共に戦う人とのご挨拶、付け届け(ゲーム内)などなど、まあやることがいっぱいあるそうな。しまいに一台のゲーム機ではキャラの育成に間に合わないからもう一台購入、ポータブル機も購入して、父が入院中はお見舞いに行ってもポータブル機でレベル上げしてたっけ。更に別のゲーム機も買って、ドラクエのアップデートを待つ間はFF(ファイナルファンタジー)をやっていました。
 父に「働きたい」欲を押さえつけられ、働けると思ったら暇無く働き続けた母、のめりこみの最大級の物を見つけたのですから、別になんとも思わないというか「私も老後はあれでいこう」と思っているぐらいです。そしてゲーム機満載のうちの実家は、普段ゲームをさせてもらえない子供らにとったらまさに天国。実家に行けばゲーム時間無制限でやらせます。私が制限時間つきのゲームなんて地獄だと知っているからです。

 で、そんなドラクエにはまりまくってる母は良いのですが、一つだけ納得いかないこと。それは、オンラインでゲームをするということは、画面の向こうには本当の人がいて、その人はゲームのキャラの仮面をかぶって存在しているわけです。母はその人たちと「友達」になったつもりでせっせとご挨拶をしたり、時には「友達関係」で本気で悩んだりしているのです(電話してきてゲーム上の友達関係の悩みを言うからわかる)。
 挨拶したり楽しくやるのはいいのだけれど、本気で悩むのもいいのだけれど、そのオンラインの向こうの人が言っていること、そのキャラを「真に受ける」ことがどうしても納得いかないのです。

 実際このブログを書いている私も「獣医をしている本好きのおばさん」というテイで書いているけれど、実際は「農家をしているハンサムな中学生」かもしれないじゃないですか。
 そんなことは私しか知らないことで、このネットやブログやゲームの向こうにいる人が「本物」である、ということを「本気」で信じる人の気持ちが
まったく理解できない。
 もちろん母にもそう言いました。「ゲームの向こうで太った裸のおじさんが、かわいいキャラ育てて話してるのかもしれないんだよ。その人の言うことに一喜一憂する必要ある?」と。でも「まあそうなんだけどさ」と言って、結局いつものようにその世界に戻っていく。
 母がいいならそれでいいのですが、私は実際患者さんに、目の前で話している私のことは「うん、まあ、はい、そうですね」的に聞き流されて「でも、先生。ネットで相談した獣医さんはこう言うんです」と言われることが少なくありません。「ではその人に治療してもらってください」と言うしかありません。「ネットの獣医さん」は本物かも知れないけれど小学校の女の子かもしれないし、アイス食べながらテレビ見ている高校生かもしれない。そんなことはどうでもいいのかな。ネットの後ろにあることを本気の本気で信じる、ってどうやったらできるのかな。

 ネットの獣医さんに治療してもらって、よくなればラッキー。悪くなったら?その責任は私には負うことはできません。

 母のドラクエは母を楽しませてくれてるのでまあいいです。そして母はゲームの後ろにどんな人がいてもいいらしいです。画面上で起こることをその場は信じて楽しくやることがゲームの醍醐味らしいので。
いちいち「変なの」と思う私とそこは相容れませんが、そんなものかと思う今日このごろです。

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