ギラギラの5年生
10年前、毎日日記を書こうと思って1月1日に書いて
数日経ってそこら辺に置いてあったノートをみて
「あ、私日記書こうとしてたんだっけ」と思い出し、己に愕然としました。
それから「毎日〇〇しよう」と思うことはやめました。
だって、1日しかやらない上に「毎日やろう」としていたことさえ忘れるほどですから。自分にがっかりするようなことは極力しない(笑)
小学校5年生の時は毎日日記を書いていました。宿題だったので。
やれ、と言われたことはやるタイプ、なわけでもなく、たぶん先生にどう思われるかが大事だったから。
当時の担任の先生は厳しく温かく、一人一人にエネルギーを注いでくれるような先生でした。いじめもあったけれど、根本的なところにメスを入れ
それをクラス全員の前にさらけ出し、いじめを排除しました。
そんなこと言ったって陰ではあったかもよ~と思われそうですが
そうかもしれないけれど、なんとなくその先生の前ではみんなが
恥ずかしいこと、隠し事をすること、嘘をつくことができなくなってしまったのです。先生が常に自分を見ていて「見てるぞ」って言われているような感覚。
このクラスの一員であることをそれぞれが誇りに思い、イベントでは
みんなのエネルギーが同じ方を向き、一人もとりこぼさないように周りのみんなで支えあっていこう!と自然に思ってしまうようなそんなクラスでした。
その渦中はとても楽しく、反面、先生の眼が常に厳しく、ピリピリすることもありました。
毎日全力でやってるから時々疲れちゃうっていうか、そんな感じです。
その先生が宿題にした「毎日日記を書くこと」。
とにかくその先生に目をかけられたい、褒められたいので
怠けることはしない、プラス日記が嫌いじゃなかったので、毎日毎日長文を書いていたものです。
多少の脚色はあったもののうまく書けたときは、
学級通信に日記が載せられそれはもう誇らしいことでした。
私が文章を書くことが苦じゃないのは、その日記のお陰かもしれません。
さて、だいたいは5~6年生は一人の担任の先生、と決まっていたのですが5年生が終わるときに、その先生が
「先生はもっと勉強したくて大学院に行くことにしました。みんなには申し訳ないけれどいなくなることになりました」と言いました。
その時の衝撃と悲しみと怒り。
先生とみんなと卒業できるって思っていたし、卒業の時にはこれを歌おうって決めていたし・・・。大騒ぎして先生に泣きついてみんなでさよならって言って・・・ということをやったその次の学年の6年生。
担任にぎゅっと固められ「このやり方が正しい。このやり方以外は正しくない」的に存分に仕込まれた私たちは
新しい担任に反発し、今まで先生の眼が光っていたからなくなっていた
いじめも始まり「私たち他のクラスのみんなとは違うから」みたいなエネルギーを発してイベントで全て1位だった私たちを他のクラスの人が良く思っていたわけもなく担任が変わってクラスがバラバラになった途端
他のクラスの人からも攻撃されるようになりました。
厳しい反面楽しい、楽しい反面苦しい、みたいなひやひやする1年間を送った私たちは、そこにあった汚い部分に全て蓋をしていたけれど6年生で全部
表に出してしまったような感じです。
6年生の担任の先生のことは本当に困らせたし、しまいに胃潰瘍になって入院してしまったぐらいですがからよっぽどです・・
そんな被害にあった先生は卒業式で「楽しかったよ」と言ってくれました・・😿
今、考えても、あんなにのめりこんだ私たちをどうして一年で放置したのか、その大学院はもう一年先じゃダメだったのかとか
そこに行くつもりなら担任もたない方がよかったんじゃないかとか
いや、1年でもああいう経験をさせてもらって感謝すべきなのかとか
思うことがあります。
日記を書く、という作業をするたびにその先生を思い出しているかも。
その先生の太陽みたいな光が強くて、日陰さえ作らず、全ての人が
光の下にさらされていたけれど、
光があるところに影ができないわけはなく、それが翌年一気にふきでた感じでした。
母は当時の私を「いきがってて嫌だったわ~」と言います。
6年生の時の方がまだましだった、担任の先生がいじめられて
かわいそうだったけど。と。
あの時のことは思い出したいような、封印してしまいたいような。
noteを書くたびにちょっと苦い気持ちになります。