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私じゃないからね

私が腹立つ=思い通りにならない。
私が言った通りにならない、もそうだし
「私ならこうするけど」がそうはならないから腹立つのだ、ということが
判明した。
私は私しかいないし、家族も一心同体ではない。子供は私の分身と思っていたけれど「私じゃない」と気づいた。
あと「普通こうするよね」とか「言わなくてもわかるよね」ということも
勝手にそれは私が思っていることだから、私じゃない人にしてみれば
「いや、そうは思わない」ことなのだろう。
うちで働いている人に腹立つことがあって「普通そうやって考える?」と
思うけれど「私が指導した」けれど「私」ではないから「私がするように」はならない。

最近、主に年配の女性ですぐに怒る人がいるけれど、たぶん自分の思ったようにこちらが動いてくれない、自分が思った通りに物事が運ばないから
怒るんだろうなと思う。
昔から「思い通りにならないこと」なんて沢山ある中で生きてきたけれど
家族の中で夫や子供に言うことを聞かせながら過ごして、周りの友達も
そんな自分を「わかるよ」と言って共感してくれる人だけに絞ってきたもんだから(共感してくれない人とは関係を断ち切る)
家族や友達のカテゴリーから出てしまい、自分の思い通りにならないカテゴリーに入った途端、周りは「自分の思い通りにならないこと」だらけ。そしてすぐ怒る、ということになってしまうのかなと思った。

というのは、先ほど、いつものように腹が立つことがあって、その自分の怒りを分析したので書いて見た。

うちの病院にいる猫。受付を担当しているのかと思えるほど愛想がよい。
よその犬も猫も大丈夫。滅多に怒ることはない。私が患者さんと話していて次に入ってきた患者さんがいると、その人のところに行き「どうしましたか?」と聞きそうな勢いで次の人のお相手をしてくれている。
順番がくるまで次の人はうちの受付猫のお相手をして待って頂くというシステムだ(いや、システムじゃないけど、最近そうなっている)。
さてその猫はある酪農家の猫で、家の猫ではなく牛舎に住み着いていた猫だった。ある病気をしてその病気がなかなか治らず飼い主は何度もうちに通って治療し、何度も手術したものの治らない。猫エイズをもっているので
家の中の猫とも同居させられないから牛舎で飼うしかない。
もう疲れ果てた飼い主は安楽死をお願いしてきた。私は基本的に安楽死はしない。が、その猫の治療を一緒にしてきて「ほんとに治らなくて困った猫だな。どうしようかな」と私も思ってしまって一度「安楽死しようか」と思って準備をした。そして最後にちゅーるをあげたいと飼い主が言うのであげたところバクバク食べて「これは病気が治らなくて死にそうな猫の姿ではないな」と思った私は「この猫私がもらいます」と言ってしまったのだ。そんな不幸な猫は山ほどいて、そこに手を差し伸べたらうちに猫があふれかえることが目に見えているので、そのような場合はいつも心を無にして手を差し伸べないようにしているのだが、
その猫はふと安楽死に賛同してしまった自分への反省もあり、またこれ以上加療するにしてもお金と時間と手間がかかりすぎるだろうことも容易に想像ができ、それなら私がもらって私が治療しちゃったほうがいいかと安易に考えてしまったのだ。

というわけで、うちの病院猫となった。
家の中には先住の犬と猫がいて、その犬猫が新入りを受け入れそうになかったので病院限定の猫として家にはいれていない。
夜や週末は寂しい思いをさせているのだが、来る患者さんのほとんどが
この病院猫をそれはもうかわいがってくれて、みんな「かわいい!」と言って撫でたり抱っこしてくれるので病院猫は幸せいっぱいで、すっかり幸せ太りしてしまった。病気の方も紆余曲折はあったもののなんとか治り今に至る。
その猫は病気があったため、私が長期で不在時はお世話が大変なので
人に預けるようにしていた。今では親切な方がひょい!と連れて行ってくれて気軽に出かけられるようになったのだが、最初は病気のこともあり
元いた酪農家に頼んでいた。でも「家族と相談して決めます」と言って
渋々引き受けてくれているのがわかった、かつ、そこの家にいる猫がエイズではないので、エイズのうちの猫を預かることが嫌だったらしい。濃厚な接触をしなければうつらないとお話もしたのだがどうしても嫌だったみたいで、しまいに牛舎でなら預かると言い出したので「もういいです」となった。エイズの他に病気をもっていて世話が大変ということもあったのだろうが
元はそこの家の猫だし、安楽死を免れて元気に過ごしているのを見られるなら「私なら」喜んでいつでもお世話します、と言うのに。と思っていた。

そこの酪農家で新しく保健所から猫をもらってその猫が「エイズ」かどうかの検査をしてほしいと連絡があった。月齢が小さいからまだ検査できないと言うと「そんなに接触しなければうつらないし大丈夫ですよね?」と言う。
いやいやいや、あなたの家にいた猫=今うちにいる猫もそういう状況で大丈夫だと思うから預かってほしい、と言ったのに
その時は嫌だったのに、新しい猫はいいんだ・・・と思ったらだんだん腹が立ってきた。
そもそも安楽死すると言って1回猫を見捨てたのに(私もだけど)新しく猫を迎えて、それが病気でもそれはいいんだ。と思ったら
なにそれ、と思ってその後の話が耳に入ってこなくなってしまった。
お宅に預けた猫元気ですか?でもなく、新しい猫の話ばかり。
うちにいる猫が何もしらないでぶくぶく太って、幸せそうにごろごろしているのをみてなんか不憫になってしまった。
もうその人が来ても見せてやらんわ。見せて、とも言わないかもしれないけどね。

ということがあった。
これは「私なら」
うちに引き取ってもらった猫に操をたてて他の猫は飼わない
飼ったとしても、うちで引き取った猫が元気なことをたまには確認する
などのことが全くみられなかったので、腹が立ったのだと思う。

そこんちで飼われてても牛舎にいるしかなかったし、今は温かいところで暮らして患者さんたちみんなにかわいがられているんだから
うちに来てそれでよかったじゃん、で話は済むのかもしれない。

でもさーー
せめて「あの見捨てた猫には申し訳ないけれど、新しい子を引き取ることにしちゃいました。あの猫元気ですか。お世話になってます」ぐらい
言わないかい?言わないか。私が勝手に引き取った猫のことだからね・・。
ちぇっ。

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