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阿字野

 先日娘が通っているピアノ教室の発表会がありました。例年発表会では少し背伸びをした曲が与えられ、数ヶ月前から仕上げるのですが、今年は娘が去年から言い続けたショパンの雨だれを弾かせてもらうことができました。
 そもそも何故雨だれを弾きたかったのかと言うと、ピアノの森というアニメで主人公の男の子がそれを弾くシーンがあり、そのシーンが好きだったから。だと思います。
 普段テクニカルな曲が多めの娘は「雨だれ」は弾くことは苦にならず、でも「音を作る」ことが大変だったようです。最近は「私が思ったようには」練習しないし、生活の全てがだらけていて私の怒りレベル3に到達しているためほぼ口を出すこともやめました。
(怒りレベル1:怒る、怒鳴る。レベル2:無視。レベル3:普通に接するが何も口を出さない。レベル4:敬語を使うなどして距離をとろうとする)

発表会は一年間の集大成。自分がどのような練習をしどのようにピアノに、音楽に向かい合ってきたかが表れる場だと思います。心の中では「恥をかくがよい」と思っていたのですが、発表会で聞いた娘の雨だれは、それはそれは心に浸みて頭の中で耳の中で何度もその演奏をリプレイしてはぽーーっとなるほどだったのです。

 その「雨だれ」後遺症からピアノの森病へ突入。録画したアニメを夜な夜な見て、寝る前はマンガも読む。聞く曲は全部ショパンの「ピアノ協奏曲1番」。反田さん、チョソンジン、アルゲリッチ、ブレハッチ、エヴデーエワなど蒼々たるメンバーのコンチェルトを聴いてはここがいいだのアレがダメだの自分の中で評価して満足していました。
今まで雨宮修平君はあまり好きではなかったのだけれど、よくマンガを読み込めば読み込むほど好きになり、特に雨宮がカイのためにコンチェルト1番のオケパートを弾いてあげるシーンが大大大好きで、
「私もオケパート弾きたい!!!」となり、いつもの相棒(現実の)に
「ショパンコンチェルトのオケパート弾きたい!二台(ピアノ)でやろうよ!」とLINE。返信が来るまでの9分の間に楽譜を購入してしまい「まさかもう楽譜買ってないよね?」「てへ」といういつもの流れもあり、
「ピアノの森」の沼にどっぷりつかっております(現在進行形)。

ピアノの森の書評で「要は努力では天才にかなわないという話し」というものを読んだことがあったのですが。
実は最近まで私もそのようにこのアニメをとらえていました。雨宮が努力をしても(そんな努力はピアノを弾く世の中の人はたいていしているものだけれど、と劇中でも言われていましたが)天才であるカイにはかなわない。
そして、カイは過酷な環境にいながらそれさえも自分の力にして師に恵まれ「ピアニスト」としては順風満帆すぎる仕上がりです。

ところが、こんなことはもしかしたら皆さんご存知だったのかもしれませんがピアノの森ってカイの先生である阿字野(あじの)の物語なんですねえ。
カイが主人公だとすればショパンコンクールで優勝・・・で十分だったはずだし、終わりの曲もショパンのコンチェルトで終わりで良かったはず。
でも、このマンガの終わりはショパンではないし、阿字野の復活で終わる。

カイと阿字野の物語ではなくやっぱり阿字野が主人公。
そうやって読むと色々腑に落ちました。

というわけでなかなか沼から戻れず。

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