距離感のつづき①
そもそも人との距離の話をなんで書いたかというと
私の人との距離の置き方がおかしいんじゃないかと思ったから。
というか、他人に対して無関心すぎることは
いけないことなのか、と思ったのです。
地元の新聞に小学生の子供たちが自分たちの夢を語るコーナーがあるのですがそこに載っている文章で多いのが
「人の役にたつ仕事をしたい」というもの。
私はそれを読む度に
「この子らすごいな。いつから人の役に立ちたいと考えてるのかな。
それって親が言ってるから?
親も人の役に立ちたいと考えている人は、子供にそう伝え
子供もそうなる。代々、人の役に立ちたい人の家系ができるわけか」と
考えました
果たしてうちはどうか。夫は知らんけど、夫の口から「人の役に立つことをしなさい」と聞いたことはない、
私も言ったことがない。
人に迷惑をかけるな、は言ったかもしれないけれど
「親がいなくても自分で生きていけるようなスキルを身につけよ」が
主なる方針かもしれない。あとは「やると決めたら最後まで
必死でやれ」とか。
視点が外ではなく自分に向いているのです。それは私が。
人がやってるから私も、的な考えはそもそもないし
子供らがそれを言い出したら激怒。
人は関係ないじゃんと言い続ける。
でも、それって「自分のことしか考えていない
自分さえよければよい」という考えにつながるものなのか。
「人の役に立ちたい」って他人に寄り添って他人のことを
よく見て、なんかできることないかなって考えないとできないこと?
私も人生半ばを過ぎて子供らも大きくなって
さあこれからどのような人生を過ごそうかなと考えた時に
一生に一度ぐらい「人の役立つことをしようと思ってみよう」と
考えたのです。まず、なんかそこがおかしいのだけれど。
でも。
この前「イーディ、83歳はじめての山登り」という映画を
見て、その中でイーディが「私は一人で登りにきたんだから
あなたの手助けはいらないわ」と言って、色々手伝ってくれる
若い男の子をおいて一人ででかけてしまうのですが
傍目から見てると「いやあ、一人じゃ無理じゃないかな」と思ってしまう。
実際重いボートを押すこともできないし、漕いでる途中でオールを
落としてしまって疲れて寝てたら目的地に着いてた、暴風雨の中
テントは飛ばされ道ばたで寝ちゃったら目の前に小屋が建ってて
そこの人が助けてくれた、など。
まあ一人じゃできなかったよね・・・と思いつつ。
その中でボートを押そうとしても全く動かず途方に暮れてたら
すっとボートが動き、はっと見ると通りがかりのハイカーの女性が
押してくれたというシーンがありました。
イーディは「私一人でやりたいの!!!」と怒ってしまう。
女性が「あら、ごめんなさいね。お気をつけて」と言って去ろうとして
やっとイーディは「ありがと」と言うのです。
なんかイーディの気持ちわかるわあと思って。
そしてイーディがボートを押そうとしているところを見かけたら
ハイカーの女性のように「手伝いますか?」って言う前に押しちゃうよなと思って。
いや、ちょっとまて。
これは「人のお手伝いをしたい」という話であり
人の役に立ちたいとは別の話だろうか。
人の役に立ちたいってどういうことなんですか?
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