ファッションの衰退は進化でもある
ユニクロやH&M、ZARAなどファストファッションの登場により、ファッション業界は多大な影響を受けた。パリなどで行われるコレクションの回数が増えたことからもその影響はみてとれる。結果として多くの商品が市場に流入することになった。
実はそれ以前にも同じことが起こっている。1800年以前、服や靴はオートクチュール、オーダーメイドが当たり前であった。1850年を過ぎたころから、プレタポルテ、Ready to madeいわゆる既製服が台頭してくる。オーダーメイドは出来るまで時間がかかり、流行を追いかけるのに不便なものという気運が醸成されていった。こうして、手入れをしながら同じものを長く身につけるという思考から新しく出来たものを購入するという思考へと切り替わっていった。靴のトゥに革を貼り付けることはしなくなっていったのだ。
このような「加速」は今では当たり前となり、雑誌において、廉価という言葉は「プチプラ」と訳されるようになった。そうして手頃で最先端のファッションを取り入れられるようになったわれわれは、生活が豊かになったと感じるようになった。
その一方でウイグルの問題やバーバリーなど高級ブランドの廃棄問題など取り沙汰されるようになった。さらに世界のSDGsの潮流にのって動物皮、毛皮の使用の規制や、自粛、また衣類の回収やそれらをリサイクルした商品の開発が盛んになってきた。
そのビッグウェーブにあやかろうとエコを「ウリ」にした新しいブランドが立ち上がっていたが今や、環境に考慮していることは「ウリ」ではなく当たり前になってきていると言えるだろう。
(そもそも、衣服という工業製品を作り出す時点で多くは環境に有害であることはなんたる皮肉か。)
こうしてファッション業界は「加速」と「減速」を行ってきた。これ以上の加速はないものとみな心の底では思っていたところに現れたのがシーインだった。
シーイン
現時点でのわたしのシーインについての理解では
・InstagramなどのSNSに投稿するために購入するので、着心地や使いやすさなどの品質は求められない。特に若い世代に人気。
・ユーチューバーやインフルエンサーによって商品を買うことがコンテンツ化されている。
このような理由で話題となっていると考えている。
このSNSに投稿するために買うという点がどうも引っかかった。この仮想世界にお金を払うところに私は既視感があったのだ。
あ、ゲームの課金着せ替えだわ、これ。
例えばモバゲーでもmixiでもハンゲームでもスマホゲームでもいい。
現実で購入する服がそのようなゲームのアバターの着せ替え程度でしかなくなっているのではないか、と感じた。少なくともその片鱗をわたしは感じたのだ。後々の服はVR空間での着せ替えの意味しかなさなくなるかもしれない。
パジャマやジャージやスウェットをきて、仕事のときはZOOMの画面でスーツを着ているように画像を修整、友達と遊ぶときはVR空間やゲームの世界で遊ぶ。
その時の自分の代わりとなるキャラが身につけるもの、顔の表情などを購入する。NFTで世界に一つしかない「着せ替えアイテム」などが数十万円で売られるようになるかもしれない。その一方、自宅ではシーインで買った数百円の服を着ているのかも。
わたしにとってこれはちぐはぐ感があるが、もしかしたらわたしより若い世代にはすでに受け入れられるものとなっているのかもしれない。
自己表現の方法が異なるというだけのことなのだろう。ファッションという文化が危機に瀕している、というと偉そうに聞こえるかもしれない。
しかし、自己表現が無くならない限り、ファッションは無くならない。
どちらかと言えば「身につける」文化が衰退していくだけのことである。ファッションという文化自体は生き残るのだろう。
ドットか何万画素かわからない画面上に形と素材を変えて。
そしてそれを「豊かになった」と感じる世代が出てくるのかもしれない。
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