俺の目線による「なかよ史」

まず断っておくが、今から書くことは俺の目線を記したものであり、正史ではない。当然ない。

また、これから書くことは「感じた事」以上のことを書く意図はなく、
「こんなこと書いている俺」を表現したい意図はないという事を、

ほぼないという事を。
伝わってしまったら申し訳ないけど、そんな意図はないという事を。
「独特な視点だね」と褒められたいという意図はほぼないという事を。
はっきりと申しておく。

~以下言いたい事~

結論から申し上げると、現在は「"なかよ値"成熟期」となっており、新たな”仲良し”の夜明けに差し掛かっている。
大丈夫。
焼酎ソーダ割※飲んでいるけど、大丈夫である。

 ※最近は焼酎ソーダ割にポッカレモンを2プッシュする。

分かりやすく説明します。以下の手順で。

① なかよ値って?
② なかよ値の歴史は?
③  今後どうなっていくの?

① なかよ値って?

「なかよ値」だが、これは私の造語である。説明のために今作ったものであり、まだ出来立てでアツい。
簡単に言うと以下の通り。

・アイドルグループなどで顕著だが、仲良いことが、露出度に繋がる現象があり、「仲が良いことが価値」となる。その価値を「なかよ値」と呼ぶ。
・なかよ値が高いグループ、コンビ、チームは、「楽屋が一緒でよく話す」「お互いの誕生日にプレゼントを贈る」などの現象がみられる。尚、本当に仲が良いかはどうでもよく、仲がよさそうに見えれば、なかよ値は高くなる。

つまりそういう事である。
卑近な例でいえば「嵐」である。
後述するが、ジャーニーズアイドルユニットの中で、最もなかよ値が高く、さらに「なかよ史成熟期」に突入したきっかけは、彼らにあると思っている。

改めて言うけど、これおっさんが焼酎ソーダ割飲みながら書いてるからね。
極まった個人的見解だからね。あと、ポッカレモンは何プッシュしてもなくなる気がせんな。レモンサワー好きならこっちの方が良い。明日にでも買ってみてくれよ。おじさんとの約束だよ。


② なかよ史の歴史は?

俺の目線では、なかよ史は1990年代からスタートしている。
80年代のお笑いコンビ、アイドルユニット、バンドでは、仲の良さは露出度に繋がりづらい時代であったと聞く。関係性など気にされず、それぞれのアウトプットのみが重要視される時代であり、2021年の今と比べると、ストレートな時代であった。以下に、なかよ史を整理する。


1990年代:なかよ史黎明期
なかよ値が潜在的に認められていた時期であったが、まだその認知は低く、なかよ値以外の部分で評価されていた時期である。この時期のトピックを以下に整理する。

 ・電気グルーヴメジャーデビュー

 静岡学園高校の同級生である石野卓球とピエール瀧のなかよ値は今でも高く、振り返ってみれば、なかよ史のさきがけは「電気グルーヴ」であった。現在でも高いなかよ値をほこり、業界をリードしている。

 ・PAFFYメジャーデビュー

「女の友情なんて無い」と言われていた90年代に突如として現れた。冠番組でもあるパパパパパフィーではなかよ値の高さをいかんなく発揮し、プロデューサーである奥田民生も巻き込み、なかよ値揺籃期を支えた。尚余談であるがなかよ史フリークの間では「"奥田民生と吉井和哉"、"奥田民生と斉藤和義”の組み合わせになかよ値の高さを感じる」との声が大きいことも記しておく。

・水曜どうでしょう放送開始

北海道ローカルが生んだお化け番組「水曜どうでしょう」。
水曜どうでしょうに関しては識者の間でもなかよ値の数値にぶれが出る。番組内で喧嘩も絶えない様から、放送時は低なかよ値を付けられがちであった。当時は低なかよ値番組として有名だったが、放送回数、年数の増加に伴い、2021年現在では、その登場が90年代のなかよ史を語る上でなくてはならない史実となっている。

主なトピックは以上の通りである。
前述した通り、90年代は揺籃期の時代であり、なかよ値の高さがダイレクトに伝われなかった時代である。潜在的に存在していたものの、その価値に気付かれなかった時代である。まさに「振り返ってみれば確かに」と語られる時代であり、なかよ値夜明けの時代であった。表に出られず陰に隠れた仲良しユニット、グループも多くあったと聞く

2000年代:なかよ史の夜明け

2000年代はなかよ値の存在に気付き始めた人がちらほら出てきた。なかよ値の高いお笑いコンビ、アイドルユニット、バンドの豊作の時代と言われており、2010年代への助走期間になったと言われている。この時代のトピックスを以下に整理する。

・くりいむしちゅーANN
 もと海砂利水魚。改名と同時期に始まったラジオ番組「くりーむしちゅーのオールナイトニッポン(ANN)」では仲良し度合いをいかんなく発揮し、2000年代のトピックであるだけでなく、お笑い芸人におけるなかよ史のスタートとも言われている。
熊本県の濟々黌高校ラグビー部だった二人の会話は、聞く人にとって「同級生の会話」を想起させるものだった。俺はまだマードック先輩の話を待っている。

・THEE MICHELLE GUN ELEPHANT解散したのち、チバとクハラがバンドを組んだ

90年代にデビューしたガレージロックバンドTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT。2003年の解散に至るまで、なかよ値に頼ることなく、嗄れ声、カッティング、歪んだベースライン、高速8ビートで戦ってきた硬派なバンドであり、常に不仲説を纏った存在であった。 余談であるが、解散前にリリースしたアルバムである”SABRINA NO HEAVEN”に収録されている”夜が終わる”は、解散の哀愁(他の方法があったのにも関わらず、解散を選らばざれるをえなかった感)を強く感じ、儚さを感じるものであった。
あと、最後のライブでメジャーデビュー曲を演奏し、最後のサビ前ギターソロで弦が切れたことは伝説となっており、想像しただけで泣ける。

話は戻るが、解散を選んだTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTであったが、そのボーカルであるチバユウスケが、いくつかのバンドを経て、The Birthdayを立ち上げ、そのドラマーにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのドラマーでもあったクハラカズユキに声をかけた。結果、The Birthdayはまぁまぁのセールスを記録したが、この背景には楽曲、演奏だけではなく、チバ・クハラの関係性からくるなかよ値の高さがあったと言われている。


90年代に蒔かれていた種である電気グルーヴ、PAFFY、水曜どうでしょうの人気維持・上昇も背景に、2010年の成長期に向かって、アクセルを吹かしていく。


もう疲れたから、次回に続く。

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