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不登校になってもうすぐ1年

夏休みはのびのびと過ごす。
iちゃんから連絡があり、出かける。
学校に全然いける気がする。たぶん自分は学校に戻っても具合が悪くなったりしないし普通に過ごせる気がする。などと言い始める。
(夏休みあるある?余裕が出来ると言いがちですよね)
先日行った精神科にはもう行きたくないと言う。(先生との会話の端々から、もっと重篤な精神疾患のある人がかかるところで、どうも自分が来るようなところではないと思ったらしい。)
児童精神科は予約が取りにくくて、でももうそちらにも行きたくないと言う娘。
小学校高学年で色々あったお友達と再び連絡をとりはじめる。

母は、この時点で、勉強の遅れ?なにそれ?くらいの感覚になる。
昏睡状態だったとか、某国に拉致られたとかで例え空白の数年間があってもそこから出発するしかないのだと割り切る。

そしてどこかの本で読んだように、信じて待つ、のではなく
”待つ”ことをやめました。
不登校児が再登校するのは小学校から中学校に上がるとき、はたまた
高校進学時(または3年生に進級時)だとも読みました。
そういわれちゃうとそうかもなと思います。
娘とお友達の会話を聞いていても、「来年は学校に行っているだろうし」
などと言っていたりして、そういうつもりではいるようなのです。
少なくとも、高校にはいく気満々なので勉強がおいつけなくても
通信には進学するだろうと思います。

お友達関係の影響はものすごく、ちょっとしたやり取りの行き違いなどで
ふさぎこんだり、なかなか不安定さは抜けません。
やっぱり2学期からとかはちょっと無理そうだなぁ。

母は通いやすそうな通信や、いざ勉強しようとなったときの塾などを
探してみたりしていました。
娘が何か言い出した時にさっと情報提供できるように。
待たないとは言え、なんかやりたいですよね( ´∀` )

夏休み終了まで1週間となったある晩、
「いよいよ1年間の壮大な計画が実を結ぶ時が来た」
と言い出しました。

???

ど、どゆこと?!

「学校に行く。」

そ、そうなんだ。
「もう心の準備はできたから。でもちょっと落ち込み気味なんだよね」

そうなのか。

最近、体調が悪そうな娘はまた2学期が近づくにつれ、起立性調節障害のような感じになっているのかと思っていました。

まあ、その可能性は高いので行けないかもしれないけれど、どちらにせよ
バックアップしていけるように私も心の準備をしなければ。

何しろ一度も練習に参加していない体育祭がいきなりあるし
でも、なんとなく、娘なら大丈夫な気がします。

行けても、行けなくても。

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