デデデデ後章観てきた
張り切って公開当日に観に行きました!
前章に引き続き、あのちゃんも幾多リラさんも良かったですが、ストーリー展開も面白かったです。
娘は見終わった後ボロボロに泣いておりました。
10代の娘とは感性も感受性も違うのでしょうが、母も十分に楽しみました。
後章ではいかにしておんたんと門出の関係が築かれたかが描かれますが、おんたんがおんたんであることの覚悟が、私の胸にこれだ!と突き刺さりましたよ。
娘は何をどう感じたんでしょう。
人生は選択の連続です。
しかし100%絶対という選択をいったい誰が出来るというのでしょう。
それをどうやって選ぶのかというと、その人の経験や知識しかないですよね。
そうしたら、なるべく多くの知識を得て経験を積むことをしないと、”正しい”判断が出来ないのだと思います。
でもね、それが”本当に”正しいのか、いったい誰が判断するのかという話ですよ。
正義は立場で変わるし、常識も時代で変化します。どれも不正解で、正解。
結局判断するのはその時の自分でしかない。
だからその時、より良い選択をするために、人生の学びを深めなければならないのだろうと思います。
多くのことを知るって、勉強ってそういうことですよね?
作中に学生運動が描かれますけれども、こういったものも多くは
「自分が動かなければ」という何かに突き動かされて行動するのでしょうが
これが良くてこれはダメ、という判断も、これを知ったから自分はこう行動するって人も、知ったけれど行動しないって人も、どこまで考えたのかも
何を感じるのかも、みんな違う。
みんな自分の正解で動くんですよね。
あるいは利害関係でうまいこと乗っかってきたり。
上に立つ人って大変ですね。
そういえばアメリカの前前回の大統領選の時も思ったんですよね。
アメリカ人は何を考えているのか?と。
と同時に、紛れもない変化にワクワクしたんです。
破壊と再生。ぐちゃぐちゃでハチャメチャなところから新たな創造が生まれるのなら、もうほんとに何でもアリなのではないかしら…?
何が正解で何が不正解か。
悪に見えることが悪とは限らない。
つまり一見ダメ母に見えても悪い結果になるとは限らない(ちゃっかり自分を擁護)
デデデデのおんたんの選択は正解か不正解かわかりません。
でも私は感動したのです。
おんたんがお兄ちゃんに言われたように、門出との時間のために“変わった”ことに。
おんたんが自分を変えたあの勇気を想像すると震えます。
助けるとか助けないとかでなく、それまでの自分と違う自分になる。
とても怖いことですよね。今までそうだったのにはちゃんと理由があって、そういう自分で居ることが防御だし生きる術だったのだから。
まあ、アニメですからね。現実はやり直しの効かない選択の連続で、常に一度きりの決断をしなければなりません。
自分が自分で選択した先の人生を生きるのですから、その選択は人に言われたからとか、なんとなく流れで、ぼーっとしてたらそうなっちゃった、とかではなくその時の自分の精一杯で出した結論であって欲しい。
そうして選択した結果なら、例え地球が滅びようとも覚悟を持って受け止められるのではないでしょうか。
ま、受け止めるしかないというか。
だから子供たちよ、今日もお勉強、頑張っているね。
と私は言いたい。
私は全ての責任を負う覚悟はあるぞ。
ま、負うしかないというか。
(結局それ)
デデデデで描かれる日常は、眩しくて
この世に生を受けたことを美しく感じる束の間を思い出します。
人間の世界は醜いんだか美しいんだかわからないけれど、たぶんどっちもある方が魅力的。
人間とはそういうものなんだと思う今日この頃です。
この反吐が出る日常を精一杯楽しんで生きていこう。
とりあえず原作を読んで見たくなったのと
もうひとつ、関心領域を見たくなりました。
観たいというか観たくないというか、(映画を見て嫌な気持ちになるのは嫌ダナー)複雑ですが。
ちなみに私はご多分に漏れず中川兄・ひろし推しです。
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