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「普通」ってのは難しい

こんばんは、ぼく我わたしです。
1ヶ月ほど画面がバキバキのiPhoneを使っていたのですが、機種交換を先日致しまして。
いやー、指が画面に引っかからないことがこんなにも快適だとは。
ツルツル画面、大切。

よく耳にする「変わっている」という表現、あるじゃないですか。
僕、それを言われることが多いのですがね、いかがなものかと。
今日はそんなお話。


「○○って変わってるよね~」。
思い返せば昔から言われてきているが、今でもどう返せばいいか分からない。
というのも、何が変わっているのかがいまいちピンと来ないからだ。
どうやら僕にとっての「普通」は僕以外の人類における「普通」ってやつとはズレがあるらしい。

そもそも「変わっている」のは当たり前なのでは?というのが正直な感想だ。
人類各々が感情を持っていて、各々のバックグラウンドがあって、どうして「変わっていない」ことがあろうか、と思ってしまう。
だって僕はあなたではないし、あなたも僕ではないのだからそりゃああなたからして僕は変わっているでしょうよ、と思う。
では彼らはありとあらゆる人間に向かって「○○って変わってるよね~」と言っているのか、そうではない。
どうやら、やはり僕は「普通ではない、変わっている人間」にカテゴライズされる人種らしい。

ネガティブであるのも、気にしいであるのも認めるがそんな人間はたくさんいるはずだ。
かといって常に集団から逸れた行動もしていないはずだし、目立って迷惑行為をしたりもしていないはずだ。
「普通」って一体何を指すのだろうか。

「変わっている」とは言われながらも、何がどう変わっているのかは検討もつかないため、僕は「普通であるための努力」をして日々生きている。
とはいえ「普通」の基準も明確には存在しないため、明確なルールと曖昧なマナーに常に気を張って日々生きている。
正直、かなりしんどい。

けれど、1歩離れて見てみると誰しもそうなのではないかとも思えてくる。
何も気にせず生きているだけでここまでみんな揃って同じ行動ができるものなのだろうか。
みんなが同じ方向を向いて、みんなが同じ行動をしている、ロボットみたい。
もし誰もが無意識下でそうしているなら、確かに僕は「変わっている」のかもしれない。
しかもプログラムにミスがある欠陥品だ。

なんてことは認めたくないので、やはり僕は普通ってやつに順応しようと一生懸命努力する。

そんな僕に向かって人はこう言うのだ、「○○って何考えてるかわからない、感情があまり出ないよね」。
ああ、また1つ僕の感情が踏みつぶされる音がする。
何も感じず、何も思考しない、もしかしたらそれが「普通」ってやつなのかもしれない。

あまりそっち側には行きたくないなあ、と強く思う。
僕が「普通の人」になれる日はまだまだずっと先になりそうだ。

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