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執筆者について

 19歳の大学3年生時より小劇団に加入し、34歳になるまでの間に、全国十数か所、海外数か国へのツアー公演をはじめ、自身でも演劇ユニットを主宰して名曲喫茶店内にて「観客を演劇で梱包する試み」として作品を上演した。28歳頃より精神的危機に陥り、31歳にはほぼ引きこもり状態となり、たまに呼ばれるオーディションのみが社会との接点になる。
 2010年。自身の作品を上演した34歳から38歳までの4年間は完全引きこもり状態となり、希死念慮と毎朝の自殺企図のルーティンを過ごした。
引きこもりの最終年。少しずつ始めていたジョギングだったが、目標にしていた往復30㌔マラソンを大晦日の夜中に決行し走破。「まだやれるかも知れない意識」が上昇した。
 39歳より就労継続支援B型作業所に入所。2年間所属して41歳に障がい者雇用で特例子会社に初めての就職。この会社で社会保険業務を経験し社会保険労務士の存在を知る。i.D.E.社労士塾入塾。42歳で受験勉強に入る。
 45歳で社会保険労務士試験に合格し、開業。現在に至る。



病むはやむ日誌とは


27歳から34歳までにboku-makuhari日記内にて投稿していたカテゴリの一つ。<病むは止む><病む早む>と二つの意味をこめた。


病むはやむ日誌と今眼とは

当時の日記を今の視点からどう見えるかをanswerとして書いていくことを目的としています。
過去の日誌を復刻することで、引きこもり当事者や、そのご家族への参考になれればと思っています。


病むはやむ日誌の裏設定

31歳 9ヶ月の"僕"が解説。
下記の青写真のもと、日誌を綴っていますが、Fに至ることはありませんでした。
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自分を自分で育て直す計画

①足場を固めるために
まずは精神を休ませるために、できるだけ物事を考えない
→様子を見て「自分がこうなったのはあいつのせいだ!」という被害者意識を育てる
→加害者の「あいつ」に文句を言う
→自分が具体的に何歳からやりなおせばいいか自分の過去を洗い出す
→加害者の「あいつ」を許すという発想を育てる
→加害者の「あいつ」の生き方を理解して、許す
(※各々の人生をヒアリング調査しています)
→被害者意識をなくす

②自分を育てる
【A真っ当になる】28歳 5ヶ月 ~ 28歳 8ヶ月
(解説→社会のことをお勉強しましょう。ニュースの感想文を書いて自分の意見を言う練習をしましょう。ただ、付け焼き刃の正論には必ず破綻が訪れますから、それがやってくるまで自分が思う正論を書き続けましょう)

【B真っ当をこじらす】28歳 8ヶ月 ~ 29歳 1ヶ月
(解説→大きな破綻は弁証法的なものです。すべて受け入れましょう※けれどこの時期に救急車に運ばれている)

【C面白くなる】29歳 1ヶ月 ~ 29歳 3ヶ月
(解説→正論には間違いもあったし、正しいのもありました。物事の真理は二筋縄で読み解いていくしかないのです。※とりあえずの理論武装が完成した)

これ以降(D~F)は当初の計画にはなく、後付、場当たり的に規定されていきます。

【D 岩崎をやめる】29歳 3ヶ月 ~ 30歳 9ヶ月
(解説→症状のぶり返しに伴い、この世界には取り返しの付かないことがある、と諦める※同時にのっぺりと潮が引くような絶望感の始まり)

【E マトリックス、再統合】30歳 9ヶ月 ~ ?
(解説→プロセスワークによるカウンセリングで初めて他人から自分を正しく規定してもらい、一時期良質の混乱を起こす
※その後Eの絶望感が津波となって押しては引いてというさまざまな混乱。その混乱の規定についてしばらく懊悩している)

【F 自由になる】?
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31歳にはほぼ引きこもり状態
34歳から38歳までの4年間は完全引きこもり状態
38歳になってようやく社会へ浮上する。



注意事項

・一部過激な表現で書かれている日記があります。体調や気分の落ち込みがある方は読むことを控えて下さい。
・記載される日記は過去のものです。執筆者は元気にしています。
・原則、コメントに返信はしておりません。あらかじめご了承ください。
・引きこもり中の日誌は、ツバメノート A5 100枚に2冊書きましたが、すでに廃棄してあり、現存しておりません。この日誌はあくまでネットに公開していたものの復刻となります。


更新頻度

・とてもゆっくりです。よろしくお願いします。


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