榊原は天然?14年前と違う春
籠もって仕事をするはずが、差し込む陽光に誘われ、結局、出かけた。
これは何かな
14年前、筆者20歳。自らの運営するブログ上で、色々な人とやり取りするのが楽しみだった。ただ、日常的な写真を掲載する機会は少なく、草花の写真ばかりを載せた。理由は簡単。自分の身体は写さず、被写体に近づいて撮影することから、身元が特定されることはないと判断したためだった。
ある朝、自宅のそばにある自動販売機までジュースを買いに出た。ジュース1本の購入なので、カメラは持たなかった。こんなときほど良いものに出会う。自動販売機の脇に白い花が咲いていた。可愛い。私はガラケーで撮影し、さっそくブログに掲載した。「これは何だろうか」と読者に問いかける文言を付して。
記憶はおぼろだが、こうも記述した。
これに対し、寄せられたコメントが下記のものだ。
黙読し、膝から落ちた。恥ずかしい。あまりに恥ずかしい。記事の削除を考えるも逃げるようで悔しい。私はそのままにした(今となっては、この思考こそ敗北だが)しかし、誤りには違いない。日ごろから「植物好き」を公言しておきながら、なんたる体たらく。
お陰で、14年経った今でもツツジを見るたびに顔が熱を帯びることがある。その都度、「これはツツジや…」とエセ関西弁で確認する。怪我の功名とはこのことだろう。
両者の共通点
当時の誤った認識を招いた原因を考察するため、ツツジとハイビスカスの共通項は下記に挙げる。
中~大輪
耐寒性がある
陽当たりが良く、高湿度の生育環境を好む
栽培側に立つとそれなりに共通項はある。が、花弁については厳しい。かなり厳しい。
ハイビスカスの場合、一般的には花弁は5枚。中央に目立つ花蕊がある。花蕊は、雄しべと雌しべから構成される花の生殖器官で、花粉を生産する雄しべのモケモケが特徴的だ。
いっぽう、つつじの場合、品種により異なるものの、ハイビスカスに比べると花弁は小ぶりで細長い。また、中心部には花蕊ではなく蜜腺が長いまつ毛のように存在しており、密集して咲く。
以上により、ハイビスカスとツツジを見誤る原因は、知識不足と考えられる。そして、筆者は天然ではない。
モテ期到来?
ツツジを見て恥じらった後、別の被写体を撮影しているところで通行人を発見した。下記の写真上部に写りこむ人だ。
人通りの少ない道の端。散った花弁をローアングルで撮影する筆者は、さぞ邪魔で不審な存在と考えると、すっと立ち上がった。不審者ではないことをアピールすべく、なるべくにこやかに挨拶をして見せ、「お邪魔してごめんなさい」と声をかけた。すると、相手は「いやいや」と手を振る。
思いもよらぬ返答に、「素人なので、自分を喜ばせる写真だけは程々に」と笑うしかなかった。
彼は私の前まで来ると、まじめな顔をしてこう言った。
「ただ者」とは、ふつうの人、尋常の人、なみの人等、とにかく規格内にいる人のことを指す言葉だが、「ただ者ではない」と打消していることから、直訳すれば「あんたは変人」と受け取れる。しかし、発言者は温厚そうで、かつ、親切な人だ。おそらくというか十中八九、貶されたわけではあるまい。となれば、「いい写真を撮れそうな雰囲気をバシバシ出している人」と解釈できる。筆者は瞬時に恐縮した。
その後、しばらく談笑し、「いい写真を撮ってくださいね」と言って彼は立ち去った。
次に、農地の隅でつくしを撮った。所有者と思しき人が農作業をしていたので、撮影許可を申し入れたところ、「こんなもんでよけりゃいくらでも」と好きに撮影させてくれた。ありがたや。
気が済むまでシャッターを切り、お礼を言って立ち去るとき、離れたところで様子を見ていた人から「カメラマンさんですか」と話しかけられた。筆者は再び恐縮し、違うと否定すると「良い写真を撮りそうな人」との評価を受け、更に小さくなった。
今日はこのようにして行く先々で、色々な人から声をかけてもらった。
筆者、モテ期かもしれない。
人間の原動力
今日、筆者は「誰にも会いたくない」と願った。しかし、好きなものを気ままに撮るうち、その願いは薄れ、見知らぬ人との会話によって完全に忘れた。筆者の気分など接するものにより、容易く変わる。今日はいい日和だった。
筆者は趣味で写真を撮るばかりだが、せっかくだからと下記の写真販売サイト(PIXTA)にて販売している。
編集もせず、好きなものしか撮影しないので、売れなくて当然なのだが、ここのところ、順調に売れ行きを伸ばしている(ありがとうございます!!!)ただ、購入していただいた写真を見ても、売れた理由はまったくわからない。季節感があるわけでも、世間のトレンドにそっているわけでもなく、筆者のお気に入りが買われていったに過ぎない。
スーパーウルトラポジティブに考えるなら、世間が筆者に追いついた、または、筆者が世間に追いついたのかもしれない。だとしても、これまで見向きもされなかった自分の写真が、誰かしらの目にとまるのは率直にうれしい。誰のためでもなく、筆者自身のための写真だからこそ、なおさらうれしく思う。
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