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10年前の10月27日

 私のSNS歴は結構長い。最初はブログのアイコンのアバター着せ替えとかが結構楽しく、チャラチャラと作っていた。ブログは全く美術とは関係のないことばかりで、主にフィットネスクラブの話ばかり。多分40代後半の頃だと思う。美術の話は、mixiか誰も知らないtumblerなどにこそっと書いていた。

 東日本大震災の時に、瞬く間にtwitterやFacebookが広まった。SNSは災害や苦難の時に、お互いの情報を得るのにとても有効なツールとなっていった。
その前の阪神淡路大震災の時は、携帯電話もまだ完全に普及しているとはいえない時代だったことから考えると、私たちのツールとの付き合い方は、嬉しいことよりも、辛いことが起きた時に広まるのは皮肉なものだ。
 生存安否の確認方法の一つとして、SNSはこの国で市民権を得たように思う。コロナ禍の最中でもinstagramの人口は増え、noteにしてもそうかもしれない。Facebookを始めたのが2010年だったが、その時は知人が誰もいなくて、しばらく緩い繋がりでアカウントを放置していたようなものである。

 それぞれのSNSの機能は10年前はシンプルだった。気楽に投稿できるツールであったし、炎上することもない時代だった。もちろん公の部署が使うものでもなく、作業中のちょっとした散歩に最適だった。最近はどのSNSも課金制を導入して、仕事に使えるようになってきたので、緩めのネット探索が好きな私にとってはだんだん世知辛い感じがしてきた。

 Facebookの機能で、「10年前のこの日」に投稿したものが表示される。ランダムに現れるが、10月27日に表示された画像を見てびっくりした。
友人や先輩の作家たちと5名で兵庫県立美術館展覧会を見に行った帰りの写真だろう。駅のホームが岩屋なのでわかる。

 前置きが長すぎて、いつも脱線してしまう悪筆だ。
10年前の2013年10月27日の画像では、私は毛皮の帽子に、毛糸のマフラー、ショートブーツにウールのジャケットを着ている。同行の皆も、ウールや皮のジャケット、ブーツに防寒用のパーカーなど、秋の終わりを感じる衣類を着ているのだ。
ところが、10年後の10月27日は、そんな衣類を着ている人は皆無だった。私も長袖のシャツに薄い風よけの羽織りもの、それに綿のストール程度の衣類を着ていた。「温暖化現象」について、媒体を通して何度も見聞きしている。氷が溶けてゆき、50年以上前に生まれて初めて見た世界地図ではもはや無くなっている今日。この画像を見た時に、ぞっとした。衣類は端的に物語ってくれる。たった10年でこれほど気候が変わってしまっていることに。

 今、私はこれを書く前に23度の設定でエアコンの冷房を入れた。なんと今日の最高気温は27度である。気温も国境も世界はずっと変化し続けている。世界は生き物で、今も刻々と変わり続けている。私が不活発になる年齢になってもならなくても、そんなこととは関係なく。
 しかし、小さな一個人と大きな変化の間にどれだけ想像力を働かせなければならないのだろうか。SNSのような媒体による情報が増えれば増えるほど、一つの情報について時間をかけて考える習慣は減っていく。それが最近思考に現れていることに気づかされるのだ。
  
  10年後の10月27日に私はどんな衣類を着ているのだろうか。

©️松井智惠             2023年11月5日筆

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