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不思議のkeiko

  「そうなの、心細くって。お願い付き合ってくれるかしら。ほんとに申し訳ないことをお願いして失礼なのは、よくわかっているのですけど」涙目の keiko が言った。

「いいよ、お彼岸といっても私はいつも通りだし、田原本だったけ」

「そうなんですよ、駅からすぐのところなの。もう三年も行ってなくて。兄も姉も身体が動きにくくなってしまってるから、私が行かなきゃって。とても気になってるの。でも、ほんとにいいのかしら、こんなことを頼んで。よその家のお墓参りなのよ」

「母の実家がその駅から近かったし、懐かしいから天気の良い日に遠足がてらにお供しょか」と私は呑気に引き受けた。

「ありがとう、ありがとう。ちゃんと一人で行かなきゃいけないのに、私ったら情けないことね」keikoはいつになく恐縮してどんどん小さくなっていった。
「わたしは先祖代々がわかんないから、どこでもお参りさせてもらうし」とお天気の良い日を見つけて、電車の時間を調べ、スクショを撮って彼女に送った。
 前夜にラインが来て、待ち合わせの時間を少し遅らそうかと、keikoから連絡があった。休日の朝9時代でも列車は10分おきにある。なんて便利な街に住んでいるんだろう。迷わず10分遅い電車にした。私はマスクを外して息をついた。今日はとても寒くて帰宅してもマスクを外すのを忘れていた。

 keikoと私は始発駅から、ガラガラの急行に乗った。ゆっくり座っていける。年配の女に気遣うことが一つ解消されてほっとする。私も左足が芳しくない。

 「いろいろ持ってきたのよ。お線香に、お蝋燭と、チャッカマン。昨日ちゃんと準備したの」と、keikoは小さなリュックを開けて確認している。

 列車が動き出すと、日傘影の形が頭に浮かんだ。亡くなった母が「田原本にいとこのみっちゃん達がいるから、よくあ行ったわ」と、幼い私の手をぐいぐい引っ張って単線のレール横を歩いていた時の地面。夏は草いきれがして、土埃が歩くたびに立ち上った。田原本駅に着くまで、ずっとkeikoは「すまないわ、すまないわ」と言い、自分の子供の頃の話、両親兄弟一代記を話し続けていた。

「とても緊張しているの」

「何に?」

「お墓参りよ。ちゃんとできるかどうか昨日スマホで調べたの」
「ちゃんとも、なんとも大丈夫だって」かわすように言うと、keiko はスマホの画面を見せてくれた。
 
 検索すれば「もうこれでお墓参りは万全だ」とか「正しいお墓参りの仕方」など様々なサイトがある。私は少し呆れながらも言った。「keikoさん、大丈夫やて、それだけちゃんとしてる人おれへんて」と。彼女は自信が出てきたようで「駅のすぐ近くで生物は買うの。お花と果物ね」と、言葉も勢いよくなってきた。自信がない時は、誰かに一押ししてもらいたい、きっとそれだけなんだろう。私はただその役をすることにした。

 そのうちに列車は貸切に近い状態で何事もなく、田原本駅に到着した。
お花も果物も無事に買い、駅から見える立派なお寺に向かう。
小さいけれども立派なお寺に、keikoがお参りしなければならない墓が三基あった。境内の中のお墓はすべて手入れが行き届いている。
 バケツに柄杓、タワシに雑巾もちゃんと水場に置いてあったので、墓の掃除をして、お線香をあげ、お菓子や果物をお供えしている間、keikoはずっと涙ぐんで一人で話し続けていた。自分に、そして埋葬された父母や祖父母、もっと前に生きた人たちに。

 私は適当にうろうろ移動して、keikoから見えないようにしていた。やっぱりお付きの身だからねえ。でもお寺は誰のものでもないのになあと、感じていた。この重くて固い石のなかに骨があるということ。そこに想いを込められない自分に少し呆れもした。

 墓地は、どこへ行っても隣のお墓との間に、街の風景のように区分けがピシャリ。新しい墓跡はツルツルでピカリとしている。

「みんな亡くなったら星になるんよ」と、風呂帰りに母がストールをかぶせてくれながら寒い冬空を指差していた。大阪の冬の夜空は透明で星がよく見えた。「骨と星」同じ「ほ」から始まるのに、どう繋いだらいいのかわからないなあと思いながらも、バケツの水を変えて持っていった。

 「蝋燭の火が、つけてもつけても風で消えてしまうの!」と、keikoは心配そうに待っていた。「あ、お線香はちゃんとついているし、蝋燭は消えてもええんちゃう。すごく綺麗なお供えもできてるやない」と、笑って私は言った。
「日差しが眩しいわ。日焼け止め持ってくればよかったわ」とkeikoは嬉しげに経本を出して、うたい始めた。私はつらつらと節を合わせてみる。

 「お参りしてくださっているんですね」と言う声にkeikoが振り返った。私も振り返ると、初老のご夫婦がお花を持ってこちらをみておられる。
老いた見知らぬ女が二人お墓の前できばって読経している様子は、傍目から見たら、どう見えたのだろうか。

「もしかして、keikoさん?あつひこです」と初老の男は言った。
「えっ、そんな!あっちゃんは、私のことなんか覚えていないでしょう。
だってあっちゃんが三歳の時に、私はここを離れているもの・・・」

「いえいえ、お兄さんからお話をよく聞いていたんですよ。今年はもう身体の具合でお参りできないから、keikoさんが来られると、お聞きしていたんです」
「え!それで今日おいでになられたんですか」
「いえいえ、昨日のつもりが大雨で今日に変わったんですよ」
「そんな・・・60年ぶりですよ。私はあなたがまだ赤ちゃんの頃しか知らないのに・・・こんなところで生きているうちに会えるなんて」と、keikoは嗚咽で声を詰まらせた。そして大泣きする keiko。お墓参りの緊張が最高潮に達してしまった。

 「こんな、こんな、偶然ってあるのね、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんありがとう」と、keikoは墓前で泣き崩れてしまった。
「いやいや、keikoさん、うちの実家がまだ残っているんですが、ちょっと寄っていかれませんか」と、あつひこちゃんは keiko に優しく声をかけた。
三歳だったあつひこちゃんとその伴侶の女は、とても穏やかで落ち着いていた。

 あつひこちゃん夫妻の、程よいコンパクトカーに乗って、なぜか私もまた見知らぬ古い日本家屋の前にいた。その昔は、工場に使われていたらしく、天井が高く長い土間があり、ひんやりとしていた。あつひこちゃんは、keiko のお父さんの弟さんの息子だった。

 私は、入り口の腰掛けに座ってぼーっと待っていた。ここから先は入らないと、自分の足が決めたからだ。人生のほとんどを知らない四名の老いた人々が、突然ピッタリ出会った不思議は、数分後に、それぞれの場所に戻らなければならないことも告げ始めていた。これ以上もこれ以下もない、そんな人の組み合わせと過ごす一時間。

 私にとっても50年ぶりの田原本。この駅からたった二駅のところにあった母の実家の寺に、何度も遊びに行った頃、keiko はこの家の近くに住んでいたのだなと思うと、おかしくてたまらなかった。本当に悪戯な可愛い小鬼か菩薩が巡り合わせてくれたのか。

  朝の電車をたった10分遅らせて始発列車に乗れば、なんと不思議な巡りの一日になったこと。帰り着いた阿倍野橋駅の構内は、祝日で賑わう一人一人がちょっぴり嬉しそうに見えた。

2022年4月3日 筆
©松井智惠

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