見出し画像

曇り娘が鹿苑近くの博物館で


『展示品が良かったので、うまく言葉でかけず、覚書』

 9月の声を聞けば、朝の陽射しも斜めに窓から入り今日は薄曇り。奈良駅の近くで用事があるのを思い出し、近鉄電車に乗って生駒山を抜ける。
晴れていたらドライブも良かったかな、でも土曜日で観光のお客さんでいっぱいかもしれないと思いきや、お昼前の奈良公園はそれほど人出もなく、のんびりとしていた。

 鹿たちも、煎餅を無理にねだる様子もなく、少し寝ぼけたように水を飲んでいる様子。今年の暑い暑い夏の疲れもあるだろう。

用事を済ませて、向かったのは奈良国立博物館。博物館や美術館では、そろそろ明日の日曜で夏の展覧会が終わるところが多い。そうだ!と気がついたのが、7月8日から始まっていたこの展覧会だった。

『浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展・聖地 南山城ー奈良と京都をむすぶ祈りの至宝ー』
https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/special_exhibition/202307_minamiyamashiro/

 長いタイトルをここに記しただけで、概要がわかるようでも、やはりみないとわかりませんでした。まず「南山城」ってどこにあるんでしょう?京都府の最南端、奈良市に隣接する木津川あたりのことで、仏教伝来後七世紀には寺院の建立が始まったようです。南山城が歴史上重要な役割を果たすのは、聖武天皇の恭仁京造営が行われ、その折に行基の活躍によって多くの橋が書けられ、寺院が建立されたそうです。
 平城京から平安京へ遷都された後も、南山城は双方を繋ぐ回廊的な役割を果たす地域として重要な地域となり、東大寺や興福寺と言った大寺と関連の深い寺院が続々と建立されます。
 その後も江戸時代に至るまで木津川流域の俗世を離れた南山城は、日本仏教の聖地として豊かな仏像、神像、絵画、典籍、古文書を残しています。
今回は、その中からよりすぐりのものが出品されていました。

 ※ここまでは、間違いがあるといけないので、ほとんどフライヤーからの引用です。

 展示されているものは、いずれも逸品ばかりでした。立体的なものを見ることが少ない今日この頃、出品されている仏像、神像の細やかな表現はとても新鮮で驚きに満ちています。140年ぶりに東博や静嘉堂文庫美術館から里帰りしている十二神将が居並ぶと、なんとも愉しく見飽きることがありません。木津川、京田辺の各寺院から出品されている仏像も、南北朝、鎌倉、江戸時のものが、静かに一体一体展示されていました。丁寧に作られた小さめの仏像と神像を全方向から見ることができるのは、とても贅沢なことです。菩薩、観音、不動といろいろな種類の像がありました。

 今回高さが80cmくらいの不動が四体ありました。じっと見ていると、いつも台座となって踏みつけられている者の表情が、どこかで見た西洋絵画の人物の表情に似ているなと思い、形相は普遍的な人間の様を表していると気づいた次第です。

 最近までは不動像に興味があまりなかったのですが、穏やかな菩薩を守るための怒りの表情もまた、人の心を映して共感する役割があるのでしょう。

 私は不動の形相まで怒ることができるでしょうか。いや、それは無理だと思わせる仏師の造作には、作り手の手技を超えた何かが漂い、個性を超えたところに聖性は宿るのだと思いました。祈りながら作る時、自分の意図しないものが現れる時が、ほんの少し訪れる気がします。

 「私が作っているのだ」と言う意識がふっと消えたときに、現れるべきものが、表現となって時空を超えた形相を見せてくれるのかもしれません。

©️松井智惠              20223年9月2日 筆

いいなと思ったら応援しよう!