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池、箱庭


 私の古い家のあたりには四つの池があり、一帯には長池と桃ヶ池という町の名が付けられていた。長屋のうちの一軒を占めていた我家は駅から五〇米しか距離を持たず、通り過ぎる電車の音にいつも少し遅れて窓ガラスが呼応していた。線路は長野と平行しており、四つの池も又線路と平行であった。
 小さな裏庭には雑多な植物群が生息していた。やつで、楓、いちじく、びわ、柿、柳、青木、山吹、萩といった樹木の根元には野放図にはびこったシソやどくだみやツユクサ、シロツメクサなどが決まった位置を占めており、季節ごとの草花は各々小さな木箱にその土を分け与えられていた。さしたる珍種は何一つなかったが、それらは雑然となった小さな庭の内にあって不思議なほど豊かであった。そして、その一つ一つの乾いた匂いや湿った匂いを私はすっかりしゃがみ込んで嗅ぎ回っていたのだ。


 家から外へ出ると私の行動範囲は池と池とで区切られてしまっていた。北端の池と南端の池は公園になっていて、残りの一つは小学校の背中合わせであり、もう一つは家から学校まで歩く間ずっと体の片側に位置していた。両端の池の向こう側は到底一人で歩いて行く気の起こらない場所となっていた。池は時には透明な様子も見せたが何時もは暗い緑灰色で、恐らくそれ自身が池となり得た頃から一度も外へ出たことがないだろうと思われる、そんなとどまったさめた色だった。

 全てが、街全体が変化することのない一つの箱庭のようであった。しかし私はかつては箱庭の一住人、言い換えれば箱庭の一要素、かけがえのない箱庭の時間を共にした者であり、その中では私の体の回りを本当に動いてゆく時間と空間とが存在していた。そして、その事ばかりは、私から「美術」を剥ぎ取ってしまった所に雑然としかも確実にあらわれる現象である故に、現在なお愛し続けなければならない「私」として常にその断面を変えることなく存在し続けるのである。


©松井智惠

改訂 2022年 3月1日  初出:美術雑論’86 14頁/1986年5月1日発行

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