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クレメンテの明るみ


 フランチェスコ・クレメンテの展覧会を見た。1971年から1994年までの、作家自身によるまとまった作品の展示には、とても細やかな、しかも自分の作品に対する落ち着いた判断がなされていた。

 クレメンテといえば、なにか変なフォルムと化した本人らしき男の人や、とろんと宙に浮いた身体の部分が、気色悪くなるほんのちょっと手前、つまり、くすりと笑うことのできる最後の状態で描くことのできる画家だったり、イタリアとインドとアメリカの三つの居場所を持っている孤独な芸術家だったり、80年代のニューペインティングと言うお決まりの図式のなかで思い浮かべられる現代美術家だったりする。そういった枠組みに関係なく、わたしはクレメンテの作品が好きだ。

 クレメンテの作品には、いろいろな描画材料と技法が使われており、それぞれの特質を極めてシンプルに、明らかにしてくれる。
 水彩画を見るときには、吸い込まれ、見ている自分の感情が絵の中へ逆流し、画面に新たに染み出してくるようである。パステル画を見るときには、画面と見る者との間にはもちろん水彩ほどの透明性はない。けれど油彩ほどのつまった塗膜ではなく、空気が出入りする化粧を帯びさせられるようである。油彩画の前に立つと、その堅牢な塗膜を前にして、はじき返す触覚を楽しむことができるし、フレスコ画においては、分子が結合した結果、もはや画面の膜はなくなり、画面そのものが再び明るい透明性を帯び始める。

 クレメンテという芸術家は、人間の持つ意識というものの本質的な危うさを身に染みて知っているに違いない。だから、こんなに細やかなコントロールを手にすることができるのだ。(現代美術家)

©松井智惠

2022年5月1日改訂  1994年9月9日 讀賣新聞夕刊『潮音風声』掲載

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