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水曜日の旅路

 久しぶりに、奈良町界隈へ出向く。

 最近、近鉄電車は各停以外は満員に近く、座ることができない。
先日から強めの風邪をひいていたので、電車はやめて久しぶりに、確実に座れる車で東へ向かう。

 午前10時半頃には、もうすでに歩道は観光に向かう人たちでいっぱいだ。
昨年の今頃は、考えられなかった光景。コロナによる制限がかかる前よりも、大勢の人が訪れている。
 雲ひとつない奈良の広い空に広い公園に鹿。電線が空を覆うことがないだけで、こんなに違うものなのかと思う。一方で、ビルを建てたくてもできない事情もあり、必要な場合は大阪に出かけると奈良の知人は言う。今は、小一時間で京都や大阪へ、電車や車でスッと入ることができる。
 海外からのお客さんも、京都に泊まって奈良へも足を伸ばしている感じである。家族連れの人たちにとって、広い奈良公園は気兼ねなく伸び伸びとできるからだろう。

 京都にいると、自然でさえも文化と美から逃れることはできない。同じ秋の夕暮れの風景一つとっても、奈良と京都の色合いには違う時空があるようだ。自然環境や空気によって、夕焼けの色も変わる。お日さまが沈みゆく山の高さも、お月さまが上ってくる山並みの稜線も異なっている。
 奈良の町には大きな川がない。比して京都は南へ、海へと繋がる川の流れによって風景の時間軸が移動するように思える。奈良の川は、まだ未踏の磁場を含んだ吉野熊野に繋がっているから支流が多く、水流の流れ着く先は一定ではない。風景の時間軸は、あくまでも広い平地と未踏の山奥の双方が重なり合っている亜空間でもある。

 奈良町の八百屋と花屋で買い物をして歩いていた。少し前に、背中が海老のような高齢の女性が買い物袋を二つ、私と同じように両手に持って歩いている。
片方に重心がかかったなと思ったら、へにゃへにゃとスローモーションのように曲がりながら、彼女は順番に地面に接してしまった。
 最終的に道に倒れた格好になったので、歩いている若い子たちが「救急車、呼びましょうか」と、駆け寄ってきた。駐車場のおじさんも出てきて「おばあちゃん、家はどこなんですか?お家に人はおるん」と尋ねると、「家はもうすぐそこだから、救急車はいらん」、「家でも一人やから、いつもこうやって買い物してる。皆さんにえらい迷惑をかけて」と彼女は言う。
 立ち上がろうと両手に袋を持ったまま踏ん張ろうとするが、起き上がれない。若者が抱えて、なんとか立つことができた。彼女を最初から支えていた二人の女の子が、「そっと後ろから見ていきます」と、一人で歩き出した彼女の後を同じペースで歩いて行った。

 人ごととは思えないのと、彼女が気丈な姿勢を通したことに、驚きもした。これから増えていくであろう一人暮らしの高齢の女性。
彼女のように自分だけの地図と時間軸を持つことで、何かできるかもしれないと、元気になった。行きはトンネルを通ったが、帰りは曲がり道の多い生駒山を越えて大阪に戻る。
 来週は、体調が戻り京都へ行けると良いなと思う。

今日のデザートは八百屋で求めた柿。

©️松井智惠              2023年11月8日 筆

 
 

 

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