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その人の文字

 彫刻家の先生の手書きの字は、ミミズが書いた素描のようだった。 

 出だしを「こんにちは、午後も少しだけ頑張ってください」というふうに書き換えてみた。いつもの投稿ページは「こんにちは、午後も頑張ってください」とある。「少しだけ頑張ってください」というのは、先日87歳で亡くなった彫刻家の先生が、葉書に書いてくれた言葉だった。先生は、学校で教えてもらったというわけではない。たくさんの先生に教わったが、制作を続けることを、近くで見せてくれた作家であり恩師だった。私はミクストメディアやインスタレーションの作品を作っていたので、彫刻や立体について苦手意識がとても強かった。そう思うと、先生との繋がりをずっと持ってこられたのは、とても不思議なことである。

 先生との出会いは、美術学校を出てから画廊で発表を始めた頃だろうか。80年代の中頃、大阪の画廊は活気があり本町駅から近く、四つ橋筋の信濃橋にあった画廊で、先生の彫刻作品や素描を見た。いつの間にか、私もその画廊で定期的に企画個展をさせていただくようになり、画廊へもよく通った。

 その頃の先生は、近寄りがたい感じがあり、ほとんど会話をすることはなかった。挨拶は交わすけれども、そう簡単に馴れ馴れしく話しかけることのできない彫刻家だった。それでも物事を見る視線や時折書かれる言葉は、どこかカラッとした自然の明るみを感じさせる不思議な存在だった。

 その画廊も幕を閉じ、先生も年齢を重ねられた頃から書き文字による、交流が始まった。先生は「葉書というのが、一番いい」と、もっぱら葉書に入る範囲で、言葉のやりとりが始まった。最低限の前置きに続いて、少し思考が揺れた日常の一コマを伝える。そしてスッと終わる。こちらも感想や答えではなく、異なる日常とほんの少しの制作近況を記し、返事でもない雑記を書いていた。「少しだけ頑張ってください」というのは、私が何か書いたことに対する返事やアドバイスではなかったと覚えている。

 その一文は、まるでその時の状態を見透かされたような気がした。「若い頃のように力んで、沢山何かなさねば。私は芸術の中で全くわからず未だ佇んでいるではないか」という焦りが伴う時期だけに。
 彫刻家であった先生の思考は、諦めることと密接に結びついていると思った。この場合の諦めるは、仏教用語の語源からの意味で使っている。「ものごとを明らかにすること、そしてそのことをわきまえることにより納得する、という思考のプロセス」素材や技法の制約はそのような思考を生み出すのだと、私は勝手に理解した。芸術家という制約もまた、諦めなければならないことの一つなのだということだと。

 彫刻家の書く短い文章。凝縮した文章のセンス、物の見方が理知的でありながら、どこかで親しみのある苦笑いがいつもあった。作家としての制作と日常をいつも検証し直し続けた柔らかな言葉で書かれた文章だった。

 ここ10年ほどSNSで「今日の一枚さん」というものを続けている。そろそろ終わりにしたいと思うこともあるが、この絵も小さな紙である、葉書か便箋大の大きさだ。

 静かに偲ぶのには、その人の写真よりも手書きの文字が、その人となりを思い起こさせてくれる。葉書の文字数は読み返すのも容易だ。
noteに葉書コーナーを作ってみようと思う。手書きの文字の画像を1枚。

 こうやって、だらだらと書いているうちに、先生が亡くなられたことが実感できる。ネットで大多数の人に対して読んでもらうほどの文章ではないが、書き留めておくことは、今大切な時間だから。

©️松井智惠                 2023年11月18日筆

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