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あとのまつり

 何十年ぶりだろう、昨日は、祇園の後祭にふらふらと出掛けて行った。
友、遠方より来たる。友の先導に任せて話を聞きながら、まだ明るい夕暮れ前、スーッと流れる風が心地よい烏丸三条を西へ入る。

 1基の鉾と10基の山が、室町、新町通りの南北に位置を占めている。今年は、鷹山が200年ぶりに再興され、真新しい作りで一際大きくそびえ立っていた。宵宵山なので、まだ飾りも全部施されていないが、大きさや質感を間近に見ることができる。お囃子の音の中を通りながら歩く感覚は、散歩嫌いでせっかちな私も退屈しなかった。

 遠い国からきたペルシャ絨毯や緞帳。盛り上がるくらいふんだんな糸の塊の刺繍など、繊細な作業なのにどこかお祭りの力強さ、どこか「魔」を遠ざけるための呪術的な手仕事の強さがある。それでいて、文様は、京都らしく洗練されており、龍の目玉は威厳は隠して、憎めぬくらい可愛いらしい。可愛らしいものも、「魔」を遠ざけて「福」をもたらすのだろうか。
 小さな子供、稚児と言うものも、祭事の中ではそのような存在として真性を持たせられることが多い。前祭の男の幼子である「生き稚児」は、祭事の中で「聖なる供物」としてある期間だけ現れ、消える。

空の雲の色が急に暗くなり、ザーッと夕立がやってきた。軒先にしばらく身を寄せて雲が去っていくのを待つ。今年の夏がやってきたよと、鷹が知らせてくれたのか。

 すっきりとした提灯に灯がともり、それぞれの鉾や山の近くを歩く人もだんだんと増えてきた。大きな目的もなく、鉾山やお家の調度品をゆっくり眺め、提灯の光を見上げながらじゃらんじゃらんと歩む。この期間は、仕事は全くしなくても良い雰囲気が充満して、なんとも心地よい。若い時には退屈だったものが、今はちょうど良い速度になってきた。

©松井智惠       2022年7月23日 筆

 

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