聖徳太子のひざもと
大阪市立美術館で「『聖徳太子』日いづる処の天子」を見る。平日の午前中なので、混雑もなく見やすい人数だった。四天王寺の宝物から、普段はどこに隠していたんだと思うのが出品されている。絵伝や絵巻物は、諸国で同じ内容のものが描かれている。絵の内容に重点を置くというよりも、聖徳太子という伝説を纏った実在する人物が、長きにわたり人々に慕われ広まっていたことを意味する。聖徳太子は若くして亡くなっているので、童形、少なくとも高さが90cmくらいまでの、室内に置かれる木像が並んでいるさまは、巨大なものに平伏すというよりも、木像の穏やかな肌合いの表情が際立ち、「和をもって尊し」という言葉を思い起こさせる。同時に幼さの残る姿形は、曲線の中に強い性を宿している。いまだ成熟に至らない生物の持つ危ういエロスである。
筋骨隆々とした鎌倉仏の背筋など全くみられない、背中の丸みの列を振り返ってみた時に、なぜか喜ばしい気持ちが起こってきた。美術品としての価値というよりも1400年間、息づいてきた人物像とその未成熟な人生と心持ちが、ふんわり降りてきたようだった。
聖徳太子に関しては、ここに描くほどの造詣がないのでやめておくが、四天王寺を庭のように走り回って大きくなった身としては、展覧会を見に行くというよりも、懐かしいものに出逢いに、故郷を訪れるような短い旅になった。
駅の商店街で仏花を求めていると、自転車に乗って青少年が現れた。近所の子かな「なんかある?」と、花屋の女将さんにたずねている。「どないしたん、何がほしいん」と女将さん。「あんな、おれ最近、おかんになんもしてへんやろ、なんかせなおもてんねんけどな、そんでや。そやけど、全然花のこと分からんねん」と、少し困り顔でいう。「ふ〜ん、息子から花もろたらおかんはきっと嬉しいはずやで」と、心の中でかなり大きな声で言いながら、あとは女将さんにお任せして帰宅。
今日も、あと少ししたら、四天王寺には大きな西日が海へと沈む。まだ絵を描くまで少し時間がかかりそうだ。
2021年10月13日 筆
注)最後に四天王寺舞楽の展示室があり、聖霊会の解説で始まりの「獅子」には曲と舞がないと表記されてあるが、「秘曲」と呼ばれて存在します。
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