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2022年10月11日

「展覧会タイトルのいわれ」

 知古の学芸員による『桃源郷通行許可証』展の企画は、2019年にすでに芽生えていた。それから感染症が世界を覆い、未知の状況が日常に現れ、その中で溺れまいと苦心する日々を送るようになる。徐々に変化していった過程が約三年にわたって常に私の心のどこかにあった。

 この三年間に起こった、そして今も起こっている世の中のこと。一日が無事に終わることで安堵することが私の日常になり、展覧会と作品制作の重なりが、今までと異なった不思議なレイヤーを持つようになった。
 「物語」性を扱ってきた作品は、「物語」そのものが何であるのか問いかける暇もなく、日常の中に混ぜ合わされていった。その時空の中で、個人が思うことや感じることは、「個性」の呪縛からスルリと放たれたと思う。共通の感情や行動が起こること。それは、洗練された人間以前の状態を誰しもが持っているのだということを確認することでもある。
その時空で「物語」を編むことは、とても難しいことだった。身体を伴わず思索することは、私にはできない。展覧会が2022年に開催されることが再び決まったときには、最初の契機を顧みる必要があった。萌芽を促した既知の学芸員による最初の企画案をここに記すことは、良いかどうかはわからない。これから始まる展覧会は、ここから始まり変化を遂げているからだ。ただ私にとっては大切な内容であったので、書き留めておくことにした。


[3]展覧会名について 
 松井智惠さんの個展(MEM, 2019年4月)において、「桃源郷通行許可証」という文字を含む、手形のようなイメージを目にしました。この個展は、松井氏が「道後オンセナート2018」に参加した時の展示の再構成であり、このイメージも、「道後オンセナート2018」に際して制作された冊子に掲載されたものでした。このイメージが強く印象に残り、展覧会のタイトルが「桃源郷通行許可証」なのだと思い込んでいました。
 展示を堪能した後、展覧会のタイトルが「青蓮丸、西へ」であることに気がつき、同時に、タイトルだけであるにせよ、「桃源郷通行許可証」という展覧会の構想が、舞い降りてきました。以前からあたためていた、美術館のコレクションと借用作品を比較展示する企画展のアイデアを思い出し、このアイデアを、「桃源郷通行許可証」という名の企画展として実現することが可能なのではないかと閃いたのです。
 このような閃きは、実は、とても重要です。生まれたアイデアを熟成させ、時間をかけて夢想している中で、何かのきっかけで、閃きが生まれる時があります。いつ閃きがやってくるかは、全く予想できませんが、その閃きが、MEMでの松井さんの個展の会場で、舞い降りたのです。幸い、展覧会の初日に起きた出来事であったため、会期中、何度か会場に足を運び、この閃きの感覚を確かめつつ、展覧会のコンセプトを練りました。そして、この閃きに確信を得て、企画原案を作成しました。
 
 松井さんの個展「青蓮丸、西へ」は、松井さんが紡いだ物語をもとに構成されるインスタレーション作品です。その物語を記した小冊子の表紙に、手形のようなイメージが掲載されており、その上部に「桃源郷通行許可証」という文字が見えます。物語に登場する「桃源郷への許可証」が、目に見える形で示され、まるで、現実の世界に「桃源郷への許可証」が存在しているかのようです。その感覚を、多くの人と共有できる時空として、「桃源郷通行許可証」という名の展覧会を構想しました。物語「青蓮丸、西へ」(抄)に登場する「桃源郷」に注目してみましょう。(注:青蓮丸(しょうれんまる)、丹徳(にとく)は物語の登場人物。)
 
「西の彼方を知っている一羽のツグミが舟に舞い降りて、一行の仲間になりました。なにやら先に見える島々をすり抜けていくと、「桃源郷(とうげんきょう)と呼ばれる処がある」と、話し続けます。寄り道も面白そうだと、青蓮丸はそこへ向かうことにしました。」
 「そこへ、一人の老師が湯気の中から現れました。旅の初めに生まれたばかりの龍の子を助けたお礼にと、桃源郷への通行証と椿の花びらの入った小さな袋を、一行に渡します。そして仲間を「もつれぬ糸」で結んで、元の世界へと戻しました。」
「桃源郷への通行許可証がある限り、旅の仲間はまた巡り会うことができるのだからと、丹徳は皆の手を握りしめました。」
 
 現実の世界に具体的に存在している「芸術作品」を、現実の時空間から隔絶された「桃源郷」に入るための「通行許可書」であるとらえてみます。すると、現実の時空を超越した抽象的な「芸術世界」を、「桃源郷」になぞらえ、上記の記述を以下のように読むことができます。そして、「桃源郷通行許可証」という展覧会を契機に、学芸員と作家と観客が、芸術という旅の仲間として、どこかで巡り会うことができることを夢想します。たとえ、誰もが、現実に出会うことへの諦念を抱えざるを得ない世界に生きているのだとしても。
 
「桃源郷(芸術世界)」の存在を知らせるツグミは、「桃源郷通行許可証」を作り上げる学芸員。
「桃源郷への通行許可証(芸術作品)」を授ける老師は、「桃源郷通行許可証」に出品する作家。
「桃源郷への通行許可証(芸術作品)」を授かる旅の仲間は、「桃源郷通行許可証」を見る観客。

以上の内容を公開したことで、10月22日からの開催を控えた『桃源郷通行許可証』展鑑賞のヒントになることを希望しています。

©松井智惠              2022年10月16日 加筆

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