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美術の基礎練習



 美術作品は誰にでもつくれます。ただし、基礎練習を自分自身でつくらねばなりません。これは実際には結構しんどい作業ですが、この作業をするかどうかで、作品となるかどうかが分かれます。

 美術の基礎とは一体何なのでしょうか。ある程度の表現技法や、技術の習得が必要なことは明らかですが、美術表現が多岐にまたがっている現在では、技法や技術も作品の数だけ生まれてくるのが自然です。無数の選択肢の中で、作り手は迷わないように、まず美と向き合わなければなりません。歴史を重ねた美術に対する時に、無垢のままでは目が眩むだけに終わります。   

 そこでまず、自分の身体に合った美術に向かう「道具」を作ることから始める必要があります。言い替えれば、自分の感覚の働きを知って統合するための作業です。感覚の働きを知りつくすことは、到底不可能ですが、自分で作った「道具」は、自らの身体と合っていればいるほど、美に向かう時に後を押したり、必要なフィルターをかけてくれたりします。美は、対峙する者の感覚に近づいて、謎をかけてくるのが特徴です。手強い美に対して付き合い続けるには、自らの「道具」を使い、謎に対する答えとともに、常に問いかけを現す作業を少しづつでも積み重ねることが有効ではないかと思っています。

 実は、このような個々の道具作りの作業が、美術の基礎なのではないかなと近ごろ思っています。何故なら美に対して無防備で関わることができた時代に、もはや私たちは生きていないからです。時代や社会と無関係でない美術にとって、美を定義する特定の意味内容が、全体を表して充足している美術作品は遠い過去のものになっています。表現が多岐にわたる現代の美は、複雑さを見通す術を必要としています。しかも情報だけのものからも、美を読み取る必要がでてきていることにも向き合わないといけません。

 現代の美術作品における美がわかりにくい。そう感じられるのは、作品が答えだけで、できていないからです。わからないものは、やはりあります。それは当たり前のことなのです。わからないものがなくなったら、美の役目もなくなってしまうでしょう。そのために、自らの「道具」を作り続ける美術の基礎練習が必要なのです。

2021年4月27日改訂  1994年読売新聞「潮音風声」6月25日初校未掲載


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