出来事と記憶
「12:56」に起きた。
眠りから覚めても布団でしばらく甘えていた。
頭と身体が言うことを聞かない。
一念発起して立ち上がってカーテンを開ける。
太陽はとうに頭上に昇っていた。
そのまま窓を開ける。夏が身体中に纏わりつく。いつかの気象予報士が言っていた。今年の夏は暑くなるって。
冷夏は消息不明になって久しい。いったい何処へ。
夏は、暑いのは、嫌いだ。
いつかの気象予報士はこうも言っていた。今年の冬は寒くなるって。冬に生まれたから冬が恋しい。
もう年末に思いを馳せているから鬼は笑うだろう。
「15:38」
お昼ご飯が物足りなかったので、間食として戸棚に残されていた袋麺を食べることにした。最後の一個だったが買った本人は忘れていることだろう。
袋麺で思い出すのは、ミヤギトオル氏の父との思い出に関するWebマンガだ。
これが大層美味しそうだったので、何回か真似をして作っている。
ネギを斜め切りにして、それを胡麻油と豆板醤とその他お好みの調味料でいい感じ炒めたものを規定の作り方をした袋麺の上に乗っける。
いい感じに炒めるとは原文ママである。このざっくりとした塩梅が実に父親らしくて良い味を出している。
この行間を個人の嗜好で埋めることによって、それぞれの辛いラーメンが出来上がるという訳だ。
(回想)
私は歩いていける距離にある母方の祖父母の家によく遊びに行っていた。そこで昼食もよくご馳走になっていた。大体が祖母がご飯を作っていたが、祖母不在の際は祖父が作ってくれた。
祖父が唯一作れる料理はサッポロ一番みそラーメンだった。それも麺とスープだけの素ラーメンだ。
幼少期の私は大層野菜が嫌いだったので、母や祖母が作る野菜炒めがたっぷり乗ったサッポロ一番みそラーメンが苦手であった。
野菜のみを綺麗に避けて麺のみを先に平らげ、最後に残った野菜を渋々何口か食べた後に、満腹を装い残った野菜をスープの海に沈めて証拠隠滅を図った。
そんな子供だったので祖父が作った素ラーメンは大変お気に入りだった。それ故に、大人になってからもその思い出が色褪せることはなかった。
今年のあたまに母方の祖母が亡くなり、葬儀のために一族が集まった。その折に祖父の素ラーメンにまつわる思い出話を披露した。
皆口々に、祖父が料理なんてあり得ない、そんなことが本当にあったのかと驚いていた。
祖父は亭主関白とまではいかないが、典型的な旧い世代の男だったのでそういう印象らしかった。
あれば夢だったのか幻だったのか。
祖父は数年前に認知症を発症し、今は施設暮らしをしている。そのために真相は藪の中である。
件の辛いラーメンを食べながら、そんなことを思い出していた。
夏の夕方は人を感傷的にさせる。
夏は、暑いのは、嫌いだ。
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