感想:映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』自身で環境を選ぶこと/"強くなる"ために必要なものは…….

【製作:アメリカ合衆国 2019年公開(日本公開:2020年)】

家族から排斥され、高齢者施設で暮らすダウン症の青年ザックは、プロレスラーに憧れている。ヒールレスラーのソルトウォーター・レッドネックが運営する養成学校に通いたいと考えた彼は、数回の失敗の末に施設を脱走する。
一方、施設のある海辺の町の漁師タイラーは、慕っていた兄が亡くなって以来荒んだ生活を送っていた。他の漁師の縄張りに侵入して解雇されたタイラーは、フラストレーションが溜まって彼らのカニ籠に放火し、そのまま逃亡する。
ザックとタイラーは偶然出会い、目的地の方向が同じであることから連れ立って旅をすることになる。
米国南東部の豊かな自然と対峙する中で、ザックは様々なスキルを身につけ、タイラーも彼のプロレスラーになる夢を叶えようと積極的に行動し始める。
その頃、高齢者施設では、ザックと仲の良かった看護師エレノアが、彼を探し出して連れ戻すことを命じられていた。彼女は手がかりを集め、ふたりの後を追うが……。

本作は、ダウン症の青年ザックと破れかぶれの漁師タイラーというふたりの男性を主人公としたロードムービーだ。
序盤でザックの脱走を助けるルームメイトが語る「友達は自分で選べる家族だ」という言葉が象徴するように、周囲の人間や環境に恵まれなかった者が、主体的に生きられる場所や仲間を手に入れていく様子を描いている。
ハンディキャップがあることで社会から疎外されてきた人に焦点を当てる作品としてもアップデートされていると感じた。
また、米国南部という舞台設定も映像・内容の双方で活かされていたと思う。

本作で最も印象的だったのは、ザックが施設の外で経験を重ね、プロレスラーの夢を叶える過程で、彼がマッチョイズムと距離を置いていたことだ。
ハンディキャップを持つ男性を中心に据えた作品では、彼らの「不能」を「男らしい行動」によって解消することが自信につながる、という傾向がみられる(『最強のふたり』『思いやりのススメ』など)
こうした作品では、粗野な言葉遣いや振る舞い、女性に対する消費・支配的な姿勢といったホモソーシャル的な連帯が肯定的に描かれており、現代のジェンダー観にそぐわないことに加え、障がいを持つ人の性愛観を固定化してしまう点でも問題がある。
これに対し、ザックは「男らしさ」を希求することなく、プロレスラーとして自己実現を果たす。
ザックとの会話で「"クソ"は言わない」ポリシーであることがわかるほか、プロレスの試合でのマイクパフォーマンスでも、相手を罵倒するように求められて出た言葉が「お前のことはパーティーに誘ってやらない」であるなど、粗暴な振る舞いで自己を誇示したり、いたずらに他者を傷つけることのない人物像は一貫していた。
伝統的な男性観に則らずとも自己を肯定し、成長することが可能であると示している点はとても意義のあるものだと思う。

目標に対して一途で実直なザックをサポートするタイラーの姿も良かった。
タイラーはフラストレーションを加害によって解消する、初対面の女性に対して性的なからかいを交えて茶化すなど、ザックとは対照的に「有害な男らしさ」を特徴とする人物だが、そうした姿勢や価値観をザックに押しつけることはない。
彼がこれまで周囲に禁じられてきたことを経験できるようにし、一方でどうしてもできないこと(泳ぎ等)は無理にさせない、というバランスの取り方は絶妙だったと思う。
社会での居場所がないザックとタイラーがともに旅をすることで、彼ら自身の手で新たな世界を築いていく様子は、映像も相まって印象的だった。
特に中盤は河や草原などの広大な景色の中に彼らがふたりきりでいる、という構図が多く、外界から切り離された彼らの孤独と、それ故にしがらみから解放される様子の両面を強調していた。

また、生まれる前に人間の善性と悪性は決まっているとするタイラーの持論にはキリスト教の影響も感じられた。これは、ザックがヒールレスラーに憧れる理由として「これまで自分が周りに愛されてこなかったことは、自分が悪党である証だ」と語ったことへの応答であり、ザックは生まれながらの善人で、外部からのまなざしや境遇はその善性に無関係である、という理屈である。
タイラー本人が環境に恵まれず、そりの合わない他者を刺激することによって環境がさらに悪化する、という負のスパイラルに陥っていることを正当化しようとしているきらいもあるが、上述の自然の描写と相まって、米国南東部の特性が反映されていると感じた。

ただ、タイラーとエレノアのロマンスはややとってつけたような印象を受けた。エレノアは夫を亡くしており、家族のいない3人が新たな家族をつくる、という構図はあるものの、恋愛関係になる必要はなかったように思う(前述の通り、タイラーは女性を前にすると自身の男性性を誇示しようとするところがあるため余計にそう感じる)
エレノアの物語上の役割は「自動車によって長距離移動を可能にし、タイラーが動けなくなっても旅が行き詰まらないようにする」に概ね集約されるため、女性である必要もなかったのではないだろうか。
また、個人的にはタイラーの素行はザックをサポートしたことで帳消しになるレベルのものではなく、改善する意思も薄いと感じたため、彼が報復で暴行を受けて瀕死になるものの生き延び、エレノアと結ばれる、という結末そのものにやや不満があった。

全体的には「人や社会は簡単には変わらない」というシビアな現実を織り交ぜながらも、時には人間が他者に大きな影響を与えられるという希望を示す作品で、第一線から遠ざかって荒れた暮らしをしていたソルトウォーター・レッドネックがザックとの出会いによって意欲を取り戻し、キャラクターを復活させるシークエンスや、演出上つくられた「インチキ技」をザックが現実に達成するシーンは特に印象的だった。
後者については非常に細かいカット割で構成されており、編集の賜物であることがわかるつくりなのだが、前半の旅のシーンなどスーパーロングショットや長回しも多い作品のため、映像としてのメリハリが利いてカタルシスが生まれていたと思う。

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