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ほんとにプログラマになりたかったのかな? vol.2

エンジニアになろうと思って、東京に出る前の話。

エンジニア募集だったんじゃないの?ということで、入った会社では、

資格がないから?!とかいう理由で、外の会社に派遣にだされて、

いわゆるお茶汲み、電話とり、事務作業などをやるはめに。

企業研究は大事です。

騙された!と思う反面、もっとちゃんと調べるべきだったのかもしれません。

ネットですべてでてくる、今の時代はちょっぴり幸せなのかもしれません。


面接

たくさん手書きで履歴書を書いて、転職雑誌を毎週買って、

とにかくたくさん出しました。

でも、都会に通えない田舎です。エンジニア未経験です。新卒でもないです。

返送されてきた履歴書の写真をきれいにはがして流用するスキルはあがっていたと思います。

郵便受けに返送されてきた履歴書をみて、夕焼けをみながら、よく散歩しました。景色のいい場所に住んでいてよかったのかもしれません。


あるとき、面接にまでいけたのですが、

大学四年生卒業なんていらないと言われました。

その当初、商業高校卒業してすぐに就職して、もうプログラマーとしての職業訓練は若いうちにするもんだ、今からは到底無理だからやめなさい。

それを、このおじさんは親切心?で伝えたかったのかもしれません。

単線の電車を待つ間、駅のホームにはたくさん花が咲いていて、

今まで自分がやってきたことってなんだったんだろうって、悔しくて悔しくて、たくさん涙がでてきました。

1時間に1本くらいしか電車がこなくてよかったのかもしれません。


あるときは、神戸の小さな会社までいきました。

女性の方が面接してくれて、私より少し上でした。

その人も、たぶん高校でてからすぐプログラマーになったのかもしれません。

今からだと相当難しい、それに相当働くことにもなるし、相当勉強しなくちゃいけないと諭されました。

「がんばります。」そうしか言えませんよね。

といっても、やっぱり落ちました。

無職だったので神戸までの交通費がつらかったですね。


大阪や神戸まででるときは、お弁当と水筒をもって、公園で食べました。

交通費が精一杯だった気がします。

でも、街中をあるくのはたのしかったです。


田舎者の考えかもですが、すれちがうOLさんをみて、私もあんなオフィスで働きたいなーと思ったりしていました。


昔話

そう、昔話です。

あ、そう大変だったんだね。くらいな話ですよね。

昔は、集団就職で上野に来てね、就職する会社なんて知らなかったよ、ってノリです。

職場ではこういう話はしないようにしようと思います。

そんな苦労話、未来には役にたたないのですから。


でも、自分を見つめ直すには、私には今、ちょっと必要だったりします。


To be continued・・・



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