なぜそうしたいのか、考える
昨日、丁寧な暮らし、ミニマルな暮らしについてすこし書きました。
お風呂に入りながら、ぼんやりと昨日の記事について考えてみる。
「なんで私は丁寧な暮らしが向いていなかったのだろう。」
「理由がなかったからじゃない?」
「それだ!」
綺麗に整えられた部屋には憧れる。
でも、漠然と
「綺麗だなー、いいなー。」
って思っていただけ。
そんな感じで「ミニマル技法(?)」をうわべだけの気持ちで試していたから向いていなかった、いや、続かなかったのだろう。
モノの少ない部屋にして、どうなりたいのか?
→私の中で答えはない。ただ捨てていただけ。
捨てるのにこれといった理由がない、ミニマル技法を理由も分からず真似していただけ。
正直に言ってしまうと、私は別に床にモノが直置きされていてもそんなに気にならない。
でもミニマル技法には、床にモノを置かないようにしましょう、と書いてある。
いくら「床にモノ置かないようにしましょう」と書かれていても、そこに納得できる理由がなければ、永遠に置き続けるだろう。
(個人的)床にモノを置かないメリット
・掃除が楽
・部屋がすっきりと綺麗に見える
(こうやって書いてもなんだかしっくりこない)
(個人的)床にモノを置くメリット
・読みたい本がすぐ手に取れる
・自分の性に合っている(なぜか自分の座っている横にモノがあると落ち着く、秘密基地とか巣みたいな感じ)
・私と同じく床に直置きするパートナーに苛立たなくて済む
(悔しいけどしっくりくる)
ああ、私は、根本が綺麗に暮らすタイプではないのだ。
悲しいけれど、自分が満足する暮らしが何より大切だと思う。
読書なんかも
「年間100冊読む」
って目標を立てたけれど、
「年間100冊読んで、どうなりたいのか。」
が大切な気がする。
ご飯とか、運動とか、仕事とか、ちょっとした生活とか、そういうのはある程度
「こうしないと困っちゃいますよ。」
みたいなことはある。
歯磨きしなければ虫歯になっちゃうし、ご飯も運動も最低限はちゃんとしないと心身の調子を崩すし。
でも暮らしかたは
「好きなようにしていいんですよ。」
っていうジャンルだと思う。
綺麗な空間で暮らすのが好きな人もいれば、ぼんやりと綺麗には憧れるけど昼間から布団で丸まって本を読むのが好きな私もいるし。
「なんで自分がそうしたいのか。」
「それを選択することによって、どうなりたいのか。」
これからは上記のことを意識して、いろいろなことを考えたいと思いました。
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