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運動が得意な人と苦手な人はなぜ分かれるのか

運動の良し悪しは力の量で決まってしまう。余計な力が入らなければ入らないほど運動は得意になる。

今回は運動が得意、苦手の分かれ道は子供の頃の経験によって決まるのではないかということについてお話しします。

筆者の私、運動神経バカと言われるほど運動は得意でとにかく体育の授業が大好きでした。

そんな私の記憶の根底にあるのは小学1年の授業参観。

カエル倒立から頭をつけて逆立ちをする課題があり、それをヒョイっとやった時の先生や親達が拍手喝采している光景をずうっと覚えているのです。

実はこの時の感覚が、その後の運動に大きく影響していたとは大人になるまで気づきませんでした。今回はそのことについてお話ししようと思います。

あの「カエル倒立から逆立ち」何も考えず適当にヒョイっとやったら褒められ、その後も適当にやって褒められるといったことを幾度と経験し、無意識にこれでいいんだということを身体が覚え、運動感覚のインプットがこの時点で完了していきます。

そのあとは力が抜けた状態で動くことが基準になっているので、色々なことが楽にできるようになるわけです。

こうなってくると運動が楽しくて楽しくてしかたがなくなってきます。

では次に、運動が苦手な人が、なぜ運動が苦手になるのかを考えてみましょう。

A君は課題(カエル倒立)ができて褒められている。しかし、それを見ていたB君はうまく出来ないから一生懸命練習する。

それを見ていた先生や親も「頑張って」と応援する。B君は力づくでカエル倒立を作る。B君は先生やお父さんお母さんに「おー出来てきた!」と褒められ、「力が入った状態で作ることがいいこと」ということが無意識にインプットされてしまいます。

見た目が同じように作れたとしても、力を入れずにできた子と、余計な力が入った状態でできた子とでは、身体に入る力の量が違いすぎます。

しかし、B君はこれを基準にしてしまうのです。

動きや形を作るときに、どんな覚え方をしたのか、何を基準にしてしまうのかということが、のちの運動に大きく影響するので、子供に運動を教える方々はとにかく気をつけてほしい。

子供に運動を教えるということでいうと、私は少年野球もやっていたのですが、その時の監督やコーチが「打てー」とか「力抜けー」って怒鳴り散らすもんだから、みんなは結果を出そうと余計な力が入った状態で動く。

結果、子供たちは動きが悪くなり、コーチに「もっと力抜け!何で出来ないんだ!」と叱られ、子供達はさらに萎縮し余計な力が入り動きがどんどん悪くなってしまいます。

そして、たまたま打てた時にいつも怒鳴り散らす監督やコーチが褒めまくるので、その子は力が入った状態で打つことを、いいことと無意識にインプットしていくのです。

一方の私は、「運動は適当にやる」という基準があるので余計な力は入らずバランスよく身体が自由自在に動くので結果も良くなりやすい。監督やコーチ、他のチームの監督にまで褒められる。

こうなってくるといいスパイラルにさらに追い風が吹いているような感覚になってきます。

この経験は大人になっても変わりません。

「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、これは運動においても同じことが言えると思います。

子供の頃の経験や感覚の記憶がいかに重要であるか。これを本当に理解してる人は少ないと思います。

子供たちは無限の可能性を秘めているわけです。軽はずみなことは言わない方がのびのび成長していくような気がします。
もし言うのであれば、ちゃんと動く方法、力を抜く方法も教えないと子供達はインプットミスをしたまま成長していってしまいます。
その為には指導者がそれをしっかり理解してないといけませんね。
基準を作るということを考えて指導できる指導者が増えてくれば、運動が出来る人とそうでない人の差はなくなってくるのではないでしょうか。

「頑張ることはいいこと」と教えるなら、頑張らずに出来る子を褒めちぎるのは矛盾してるのではないでしょうか。


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