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ちょっと休憩、雑多コラム

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訪問看護師ではなく、私として・母として・妻として・親にとっての子どもとして・人としての話。
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#子育て

こどもの未来は、おとなの今。 ~2年前の手紙~

『二十歳の集い』の朝は早い。 早朝、着付けのサロンまで娘を送り届け、ようやく一息。 コーヒーを飲みながら急に思い出した。 2年前、娘が私にくれた手紙。。 当時娘は高校3年生。18歳。 獣医学科への進学を決め、もうすぐ卒業式という頃。 『春が来ました・・』で始まる手紙。 思い返せば、 仕事も3人の子育ても、決して楽しい事ばかりではなかった。 「小さいこどもを保育園に預けてかわいそう。」心無い言葉も浴びた。 「もしかしたら自分のわがままで、子どもに負担をかけているのでは」と

この時期お決まりの、子どもたちの保護者面談が終わった。

いつの間にか夏になった。 コロナによって仕事や生活スタイルが今までと変わってしまったせいか、1日1日や1週間が長く感じるのに、過ぎてしまえば随分と早い。 「お母さん、『何でもそこそこ出来る』ってことは、何の特技も無いってことなんだよね。」と言っていた長女は、今年高校3年。 コロナの影響で、吹奏楽部最後のコンサートは中止となり、何となく、いつの間にか引退となり、学校へまともに登校できるようになったのは6月だった。大学進学フェアはZOOMで参加し、オープンキャンパスもWEB開催

私には1つだけ、コロナの恩恵がある。

コロナの影響で子どもたちの休校が決まり、部活動も中止となった。 次男の高校の入学式もどうなることやら。まだ制服に袖を通して学校に行っていない。 高3の長女は大学受験の年となったが、自宅学習中だ。 私の仕事は医療従事者として、なかなか厳しい状況が続いている。 それでも私には1つだけ、コロナの恩恵がある。 私の休日は平日にも増して、朝が早い。 3人も子どもがいると、誰かしらが学校だの部活だの、スポーツクラブだの、遠征だの、大会だので朝早く出ていく。 出発時間に間に合うように起き

「お母さん、私ね、『何でもそこそこ出来る』ってことは、何の特技も無いってことなんだよね。」

春から高校2年の長女は迷走中である。 長女はさほど苦労しなくても、何でも器用にこなしてしまうタイプだ。 勉強も運動もそこそこやってのける。 絵が得意で油絵も高校1年の夏まで習っていた。(私が時々noteに挙げる絵は長女の作品です) 書道も作品を出品すると何か賞を頂く程度の腕前だ。 吹奏楽部でパーカッションをやっていて、ドラムなんかも叩いてしまう。 行事の際の○○委員なんかも手を抜かずに頑張るタイプ。動物が好き。 私が、長女の特技と思われることを色々挙げても、 彼女が言うに

「お母さん、俺、『夢は何ですか?』と聴かれても、夢なんかないわ。」

今回は私の3番目こども、次男の話。 4月から中学3年になる次男は、この頃、表情がさえない。 塾から帰宅し夜遅い1人夕飯を食べている時、斜め向かいに座って新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる私に向かって、急に話しだした。 中学校で、中学3年生・高校受験を迎えるにあたっての学年集会があったそうだ。 先生から、 「高校は、皆さんの将来の夢を叶える途中の過程です。皆さんの将来の夢は何ですか?」 そう言って、記入用紙を渡されたそうだ。 息子は困って、先生に 「僕は夢がありません。」

人生は 1/1 (いちぶんのいち)ではないと思った

私の娘は、小学校、中学校、高校と吹奏楽部に入部している。 今日は吹奏楽コンクールのため、娘は始発電車に乗らねばならず、私は弁当作りのため4時起きだ。 娘が吹奏楽を始めるまでは、音楽は私の人生の中で一番遠いところにある物の1つだった。 でも、娘が吹奏楽を初めてくれたことで、クラッシックを聴くこと、吹奏楽のコンサートやコンクールに出かけることが、定例行事となった。 娘からの「お母さん、この曲知ってる?」というような会話も日常のものとなった。 もちろん、吹奏楽を続けること

「お母さん、女子高生って、年末年始は何をしているの?」

今回は訪問看護の話はちょっとお休みです。 日々の雑多コラムも時々書いていこうと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高校1年の娘が、部活動の後の遅い夕飯を1人食べながら、側にいた私に向かって言いました。 「お母さん、女子高生って、年末年始は何をしているの?」 毎年、お盆と年末年始は関西の実家で過ごしていたのですが、高校生になり部活動や課題など休み中のスケジュールが多忙の為、今年の年末年始は帰省しないと娘自身で決めたものの、どうやって過ごそうかイメージがわかない