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ちょっと休憩、雑多コラム

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訪問看護師ではなく、私として・母として・妻として・親にとっての子どもとして・人としての話。
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#人生観

高校1年の次男が涙した、おすすめの「アニメ映画」を見に行ってみた。

高校1年、16歳。次男は結構アニメが好きだ。 スマホで読むだけでなく、気に入ったものはコミック・ラノベなどを購入し綺麗に本棚に並べている。 先日、 「映画よかった~。俺の中でアニメのランキングが変わったよ~。」 「お母さん、絶対良いよ~。俺泣いちゃったよ~。何か心が痛い。」 次男は帰るなり、ついさっき見てきたアニメ映画について切々と語り始めた。 私の子どもの頃のマンガと言えば、「お子様向けテレビアニメ」だった。 親からは「また、マンガなんか見て!」言われた記憶があるが、さて

この時期お決まりの、子どもたちの保護者面談が終わった。

いつの間にか夏になった。 コロナによって仕事や生活スタイルが今までと変わってしまったせいか、1日1日や1週間が長く感じるのに、過ぎてしまえば随分と早い。 「お母さん、『何でもそこそこ出来る』ってことは、何の特技も無いってことなんだよね。」と言っていた長女は、今年高校3年。 コロナの影響で、吹奏楽部最後のコンサートは中止となり、何となく、いつの間にか引退となり、学校へまともに登校できるようになったのは6月だった。大学進学フェアはZOOMで参加し、オープンキャンパスもWEB開催

相手を「変えようとする」のではなく、「相手を受け入れる」ことについて

私は、仕事中は事実だけを事実として受け止め、そこに自分の価値観や感情を付加しないよう、気を付けている。 こんな風に ↓ 「〇〇さんは、〇〇〇〇〇と言いましたとさ~(昔話風に)」 事実は「事実だけ」なのだ。 〇〇さんは、〇〇〇〇〇と言っただけなのだ。 そこに、「~だから良い」「~だから悪い」「~だから好き」「~だから嫌い」など、自分の価値観や感情を付け加えるから、ややこしい事になってしまう。そんなことは重々承知のはずだった。 今年に入り、私は新型コロナウイルス感染症の影響

私には1つだけ、コロナの恩恵がある。

コロナの影響で子どもたちの休校が決まり、部活動も中止となった。 次男の高校の入学式もどうなることやら。まだ制服に袖を通して学校に行っていない。 高3の長女は大学受験の年となったが、自宅学習中だ。 私の仕事は医療従事者として、なかなか厳しい状況が続いている。 それでも私には1つだけ、コロナの恩恵がある。 私の休日は平日にも増して、朝が早い。 3人も子どもがいると、誰かしらが学校だの部活だの、スポーツクラブだの、遠征だの、大会だので朝早く出ていく。 出発時間に間に合うように起き

「お母さん、俺、『夢は何ですか?』と聴かれても、夢なんかないわ」と言った次男の高校受験が終わった。

中学3年生の次男の高校受験が終わった。 中学3年生を迎えた春、高校受験を迎えるにあたっての学年集会があり、先生から、 「高校は、皆さんの将来の夢を叶える途中の過程です。皆さんの将来の夢は何ですか?」と言って渡された記入用紙を白紙で提出した次男。 帰宅し学校での出来事を話してくれた時、 「お母さん、俺、『夢は何ですか?』と聴かれても、夢なんかないわ」 というやり取りをして、もう8ヶ月ほど経った。 過去記事はこちら☟ 「お母さん、俺、『夢は何ですか?』と聴かれても、夢なんかな

あなたの中の 最良のものを

「あなたのやってきた事、あなたのやっている事、あなたのやろうとしている事。 あなたの考えてきた事、あなたの考えている事。 あなたの内なる信念。 迷うこともあるでしょう。 それでも、あなたは、それで良いんですよ。」 調べ物をしていてたまたま出逢った言葉から、このように言ってもらったような気がして、ココロの芯がじんわりした深夜。 『あなたの中の最良のものを』 人は不合理、非論理、利己的です 気にすることなく、人を愛しなさい あなたが善を行うと 利己的な目的でそれをしたと言

人生で自分の思い通りになる事なんて、せいぜい、「今日のランチのメニューを決めることぐらい」なのかもしれない。

事務所の近くに、唐揚げ専門店がある。 唐揚げ丼のテイクアウトのレパートリーが色々あって、山盛りキャベツ塩だれのせ丼、タルタルソースがけ丼、卵とじ丼などなど。 最近の私の胃腸には、少しボリューミーなのだけれど、実は「今日は、ガッツリ食べて仕事を頑張る」という日の、内緒の私の勝負飯でもある。 先週起こった職場での同時多発テロのような出来事は、まだ終息しておらず、あちこちの事務所を回り、人に会ったり、会議をしたり対応に追われた。 今週はやけに長かった。 思いがけないことや理

「生きることは、自分が大切だと思うことを、大切だと言い続ける闘い」

昨日、東京駅で電車までの時間があり、たまたま寄った本屋さんで、たまたま手にした「ヤマザキマリ」さんの本の文中の言葉。「テルマエ・ロマエ」の作者と言えばご存知の方もあるだろう。 ・・・・・・・・・・・・・ 3月、そして4月に入り、ずっと私はいつも以上に忙しかった。スタッフからいろいろな相談を受け個々への対応、業務調整や改善で問題が解消する事への対応、年度末の役所との会議、新入社の方のお迎え準備やオリエンテーション、各事業所周り。夏に向けての看護師さんの採用計画の検討や採用面

「お母さん、私ね、『何でもそこそこ出来る』ってことは、何の特技も無いってことなんだよね。」

春から高校2年の長女は迷走中である。 長女はさほど苦労しなくても、何でも器用にこなしてしまうタイプだ。 勉強も運動もそこそこやってのける。 絵が得意で油絵も高校1年の夏まで習っていた。(私が時々noteに挙げる絵は長女の作品です) 書道も作品を出品すると何か賞を頂く程度の腕前だ。 吹奏楽部でパーカッションをやっていて、ドラムなんかも叩いてしまう。 行事の際の○○委員なんかも手を抜かずに頑張るタイプ。動物が好き。 私が、長女の特技と思われることを色々挙げても、 彼女が言うに

「お母さん、俺、『夢は何ですか?』と聴かれても、夢なんかないわ。」

今回は私の3番目こども、次男の話。 4月から中学3年になる次男は、この頃、表情がさえない。 塾から帰宅し夜遅い1人夕飯を食べている時、斜め向かいに座って新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる私に向かって、急に話しだした。 中学校で、中学3年生・高校受験を迎えるにあたっての学年集会があったそうだ。 先生から、 「高校は、皆さんの将来の夢を叶える途中の過程です。皆さんの将来の夢は何ですか?」 そう言って、記入用紙を渡されたそうだ。 息子は困って、先生に 「僕は夢がありません。」

誰かのために祈る。

随分大げさなタイトルになってしまったけれど、私はクリスチャンではないし、実家は仏教。 私が通った保育園は、お寺付属の保育園。 園長先生はお寺の住職。 本堂に飾られた大きな「涅槃図」を前に園長先生のお話を聴いた。 そして、高校はミッションスクールの女子高。 校長先生はシスター。 毎朝の祈りの時間、朝礼での聖歌、聖書の授業もあった。 「主の祈り」や聖歌は体になじんだまま、未だに覚えている。 だからと言って、私は信仰を心の中心に据えたり、神さまに祈ったりするわけではなかっ

人生は 1/1 (いちぶんのいち)ではないと思った

私の娘は、小学校、中学校、高校と吹奏楽部に入部している。 今日は吹奏楽コンクールのため、娘は始発電車に乗らねばならず、私は弁当作りのため4時起きだ。 娘が吹奏楽を始めるまでは、音楽は私の人生の中で一番遠いところにある物の1つだった。 でも、娘が吹奏楽を初めてくれたことで、クラッシックを聴くこと、吹奏楽のコンサートやコンクールに出かけることが、定例行事となった。 娘からの「お母さん、この曲知ってる?」というような会話も日常のものとなった。 もちろん、吹奏楽を続けること

私は、自分のことがずっと嫌いだった。

急に思い出したことがある。 看護学生の頃、保健所の地域看護実習。 実習指導者さんと実習以外の他愛もない話をしていた時、たぶん私の話をした時だった。 その実習指導者さんは男性だったか、女性だったかすら忘れてしまったけれど、私に向かってこう言われた。 「自分を大切にできない人は、他人の事なんか大切にできないよ。」 ・ 看護師を目指しているのは、手に職をつけ自立して、一刻も早く親の元を離れたかったから。 看護師そのものに興味がなかった訳ではないけれど、私は親から逃げるた