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#ゆたかさって何だろう

2020年4月、住所不定・無職になった。
日本から住民票を抜いて、しばらく海外を放浪するため世界一周航空券を購入しようとしていた矢先、新型コロナウイルスで旅行どころではなくなったのだ。余談だが、住民票を抜く場合は納税の関係上、保有しているひふみ投信は出国前に解約しなければならないそうだ。しかし、解約したくなかった。保有していることで世界の誰かの役に立っている気分がしていたし、少額ながら好成績だったからだ。

結局、コロナのおかげで解約せずに済んだ。転出届の転出先には、最初の滞在予定地であるカナダと堂々と書いていたのを、実家の住所に訂正し郵送した。仕事は退職し、住んでいた都内の賃貸は、既に次の入居者が決まっているとのことで退去し、とりあえず実家に滞在することにした。つまり、期せずしてのコロナ帰省。

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感染大流行地の東京から、当時は感染者ゼロの鹿児島県に入った私は、転入届の提出も含め不要不急の外出を控えた。それで「住所不定・無職」、何なら「自称看護師の女」だった。

海外で放浪生活を送ろうと思っていたくらいなので、幸い貯蓄はあった。働かなくても、一年は暮らせる計算だ。少しでもお金があると、気持ちに余裕が生まれ、冷静に自由に行動できる。残念ながら、お金とゆたかさは切っても切れない関係だと思うし、お金の計算をしているときが昔から好きだ。

コロナの流行が落ち着いても、経済や治安の悪化で向こう2年は海外旅行が難しそうだと踏み、再就職することに決めた。かつて、新卒で入社した会社に魅力を感じられず、退職して看護学校に行ったおかげで、以来、職に困ったことはない。ありがたいことに看護師は常に売り手市場。雇用形態や業種、場所も選びたい放題。私のような、なあなあナースでも、面接イコールほぼ内定、即勤務だ。また、業者が仲介してくれるので融通もききやすく、本業が休みの日に派遣の単発バイトをしたり、派遣だけで暮らす人や地方への応援ナースという猛者もいる。

鹿児島で働くもよし、都内に戻るもよし、別の土地に移るもよし、看護師ではない仕事をするもよし。どこで何をするか? 緊急事態宣言が落ち着くまで数ヶ月、田舎で野良仕事でもしながらゆっくり考えることにした。プチUターンだ。

両親は自分たちが建てたマイホームを姉とその子らに譲り、今は母の実家に住んでいる。杉山と竹林の勢いが強い霧深い里山に、石積みの堰がある小川が流れ、先祖代々からの大小の田畑が段々に並んでいる。犬や鶏が騒いでも隣家が見えるところにないので、誰に気兼ねする必要もない、まさに隠居生活だ。そして、母の友人も言うのだが「なぜか実家に帰ってきた感じ」がする、居心地の良い懐かしい場所なのだ。私が思うのは当然だとしても、血縁ではない人もそう言うのだから、何かがあるのだろう。守り続けてきてくれた祖父母や両親、親類やご近所さんのお陰だが、今後次の世代、つまり我々のときにはどうしたものか、そろそろ考える時期でもある。

田舎の春は、田植えの準備期間だ。草を刈り、畔を塗り、しろかきをし、肥料や除草剤をまいて、水を張り、天気予報と暦を見ながら、田植えの時期を考える。

私は畑の草むしりと枯草を燃やす作業に没頭し、畑の草をきれいに取った。しかし、作物が丸見えになって猿や鹿を喜ばる結果となった。土砂降りの日は、私は読書や勉強をしていたが、母は味噌や保存食を作ったり、縫物をしていた。父は、ビニールハウスでブドウを作っているので、蔓を整理したり花穂を落としたり、ジベレリン処理前の準備をしていた。

庭に出るたびに犬を撫でまわし、犬の耳が気分で結構動くことを発見した(計測した)。3羽いた鶏が、貰ったり買ったりして最終的には17羽になった。朝ドラを見ながらの朝食、昼食後の「おしゃべりクッキング」、夕食後の蛍火。そんなゆったりとした隠遁生活が72日間続いた。

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このまま、藺牟田で暮らすのも悪くないかな、と思わないこともなかった。何よりも犬と離れることが辛くなっていた。ただ、どんなに節約しても、いつか貯金は底をつく。年金と国保、税金の支払いや、食料品の買い物もあるし、応援する団体に寄付も続けたい。結局は現金が必要なのだ。

現金を得るために農業を頑張ると、休みがなくなるし、農業は手伝い程度が性に合っている。生活保護を受給するには、看護師の求人が多い。ベーシックインカム案はどうなっているのか知らないが、迷ったときは「今でしょ」の林修さんが言っていた「やりたいことより、できること」をすることにしている。そうすると、結論がはっきり見えるので、せっかちな私には合っている。

私が大富豪なら、村上世彰さんのように財団を作って困っている人に援助をしたい。しかし、今できることは、働くこと、納税・寄付することだ。私は看護師の仕事が好きだしまだまだ働ける。働いて時々長期で休んで(退職して)帰省や数ヶ月の旅行に行っている。このスタイルが、お国のためにも、飽き性の自分のためにも良いと結論付けた。できることなら、産休・育休・介護休暇があるように、無給で構わないので休職して旅行に行きたいのだが。まあ、帰国後は概ね気が変わっているので、退職した方が無難かもしれない。

こんな自由な発想ができるのも、資格がある強味だと思う。私が会社員をしていた若かりし頃、看護の道に転向するきっかけをくれた医療職の友人たちや、嫌味な取締役には本当に心から感謝している。後悔しているのは、とんでもなくせっかちになったことだけで、居酒屋で新人スタッフを見るとつい手伝いたくなる。友人ナースの一人は、見兼ねて実際に手伝ってしまい、完璧にレジを打っていた。またも余談になるが、私自身の経験から、人生に迷える人には看護学校を勧めている。長い人生のモラトリアムとして、少し覗いてみるつもりで、看護学校はどうだろうか。

40代になって分かったが、仕事が楽しくて仕様がない時期もあれば、のんびり心身を休めた方が良い時期もある。独身でも、小さな子どもがいても、障がいや病気があっても、手に職がなくても、働きたい人は働きたい時期に働き、休みたいときに好きな場所で好きなことができる、それでも暮らしていける。そういう選択ができる世の中なら、子育てやプライベートとの両立に苦しんで、身体や家庭を壊す人が減るのではないか。
もの・お金・時間を皆で共有できる、まるで理想の社会主義国のような、それが私にとってのゆたかさだ。それに向けて何かできないものかと考えているけれど、まずは自身の就職。派遣以外で、休みたいときに長く休めるという希望を、仲介業者の担当さんに相談したら呆れられそうだ。でも、言葉にしてみなければ、思っていないことと同じだ。