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1週間で得た知見

以前からよく聞く「20代で得た知見」。私の1週間で得た知見は、人はまともな食事をしないと判断能力が鈍るということと自転車に乗りながらシュークリームを食べてると必ずブレーキと一緒にシュークリームを潰すということ。小学生でもわかるわということをここ1週間で学んだ。もっと言うならば、自転車に乗りながらシュークリームを潰すのはこれで2回目。昔から色んな人に「どうして、同じ失敗を繰り返すの?」と怒られてきたが正直なところ取り返しのつかない大きな失敗以外であればせいぜいあと3回はするなと思っていて欲しいし、自分もそんな感じであまり人に期待していない。とはいえ、最近の私はひどいと思う。まともな食事をしない代わりに大量の薬を飲むことによって考えることを放棄した。その結果、とんでもない頭痛と吐き気と高熱に襲われて病院に行ったところ1日入院することになった。病院に行けばこの症状を治す薬をもらえると思った話をしたところ、借りたお金を返すためにまたお金借りるくらい無駄な事だよと言われて自分の判断能力がおかしくなっている事に気づいた。どうして、こんなことになったのか?探そうと思えばいくらでも理由はあるんだろうけれど、探すには時間が経ちすぎていて何が原因か分からなかった。ただ、悲しいことが1つあってそれは、創作物は現実逃避のものだったのに最近は逆に現実を突きつけるものでしかなくなってきているなってこと。美しい映画を見れば見るほど、綺麗な絵を見れば見るほど、感動的な漫画を読めば読むほど私の現実がいやらしくまとわりついて、離してくれないように思える。唯一の逃げ場所だった創作物が突然刃物を持ってお前の居場所はここだとまとわりついて離れない現実をみせて脅してくるようになってしまった。このままだったら、あんなに好きだった私の宝物たちも愛せなくなってしまうのではないかと思えば思うほどとても悲しくて、布団にくるまって泣く夜もあった。そんな私はコメディドラマを見続けたり、くだらない漫画を読んで笑った。下品な下ネタで笑いたかったし、よく分からないギャグで涙が出るまで笑いたかった。でも、段々それもできなくなってきて少しずつ焦る。なにが悪いのか、なにが普通か考えれば考えるほど分からなくなって最終的に胃洗浄だけはやめてくださいと泣きわめく私に仕上がった。なにをどうしたらこうなるのか、私自身もわからない。ただ、私には考えるという時間だけが与えられていて、その中で考えて考えてたどり着くのは終わりについての話。終わりについて考えた時結局そこにあるのは執着と罪悪感だけだよなと思う。大切な誰かに死んで欲しくないと思うのも悲しくなりたくないためであって、つまりは自分のためじゃないかとすら思えてきて余計に悲しくなる。大切な誰かに死んで欲しくないし、大切な誰かを悲しませたくない。だから、生きるってのは私にとってすごく変で本当にそれでいいのか?と思う。けど、本当は生きる意味なんてそれくらいでいいってことも頭ではわかってる。中学生の頃トイレにひきこもって出てこなかった時、看護師さんから理由を尋ねられ「私の生きていい理由が見つからないから」と答えて笑われことがあった。「そんなこと昔考えてたような気もするけど、トイレに引きこもっても多分わかんないよ〜」と言われた。その看護師さん2人は別にバカにしているわけではないのよと後から付け足して謝ってきたが、当時の私は驚きながらも深く傷ついてこんな大人にはなりたくない!と思っていたが実際今思うと、あれくらいのスタンスで生きた方がいいんだと思う。ある意味あの二人は私のことを患者だとか子ども扱いせず対等に接してきてくれていたんだと思うけれど、当時の私はそれが少ししんどかった。あぁなれたらきっと私はこんなことで悩むことも、苦しむこともぐっと減るのだろうけれど何しろ私は私だからこんな答えのないことばかりをグルグルとこれからも考え続けるんだと思う。でもこの弱さがたまに強さになるのも知ってるし、あの二人の看護師さんも私とは違った強さを持っているのも知っている。生きる理由もわからないという話をしたけれど、正直絶対に死なないといけない理由というのもわからないから、まだもう少し模索してみようと思っている。あとここ一週間で得た知見で、もうひとつあったのを書き忘れていたのを思い出したんだけど、考えすぎる時は誰かとくだらない話をするべきってこと。なんてさ、どれもこれも当たり前すぎて本だったら誰も買わないよね。


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